――サブカルを中心に社会問題までを幅広く分析するライター・稲田豊史が、映画、小説、マンガ、アニメなどフィクションをテキストに、超絶難解な乙女心を分析。
90年代からゼロ年代前半を映画少年として過ごした30~40代の一部にとって、映画監督・岩井俊二は神だ。その理由は、主演女優の童貞キラー属性の高さにある。
健気で愛らしく、透明感にあふれ、天使のような無垢さと、少女特有の危うさを同時に秘める。それが岩井ヒロインの特徴だ。『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』(93)の奥菜恵(当時14歳)、『四月物語』(98)の松たか子(当時20歳)、『リリイ・シュシュのすべて』(01)や『花とアリス』(04)の蒼井優(当時16歳、18歳)。“繊細で傷つきやすい文化系のボク”がいかにも好みそうな布陣ではないか。「岩井映画好きの男は童貞臭い」と揶揄される根拠が、ここにある。
岩井の最新作『リップヴァンウィンクルの花嫁』でヒロインを演じる黒木華も、そんな岩井信者=童貞臭い繊細ボーイズたちの性感帯を、縦横無尽にまさぐってくる。放映中のドラマ『重版出来!』では主役を演じる急上昇株の黒木は、童顔の昭和顔でビッチ感ゼロ、清楚感マックス。“傷つきやすいボク”も気後れしない、安心印のオンナノコ。まさに天使だ。
黒木が演じるのは派遣の臨時教員、皆川七海。ドジで、主体性がなく、たいして頭も良くなく、特に取り柄もない。気弱なため、女子生徒からもナメられている。そんな彼女はネットで出会った平凡な男となんとなく付き合い、なんとなく結婚する。これで容姿が整っていなかったら、ただの「生きる力が弱い、ドン臭い女子」だ。
しかし七海、否、黒木は、日常系アニメの癒やしキャラを彷彿とさせるノンビリ萌え口調をフルに駆使し、観客の繊細ボーイズたちをじりじりと骨抜きにしていく。80年代ラブコメを思わせるウェーブのロングヘア。ダサメガネに地味服。からの、まさかのメイドコスプレ。しかも、夫の浮気を知らされた時の一言が「あちゃー」。ただの萌えじゃねえかよぉ(と、ボーイズたちはご満悦)。
ここまでは、ボーイズたちがウズウズと股間を熱くしているだけの話。しかし、問題はここからだ。七海役の黒木を愛好してやまない彼らは、強引な三段論法をひねりだす。
大前提:岩井映画には女性ファンも多い
小前提:その女性ファンは岩井ヒロインみたいになりたいと思っている
結論:だから岩井ヒロイン好きの男と岩井映画ファンの女性は相性が良い
たしかに大前提は正しい。筆者は封切り2日目に都内の映画館に足を運んだが、20代から40代の女性単独、もしくはふたり組を大勢見かけた。90年代をそのまま引きずったベテラン文化系女子(ベレー帽着用)、ヘッドスカーフを巻いたオーガニック系30代、全身アースカラーの女子大生、等々。
しかし、小前提が完全に間違っている。彼女たちは、岩井映画の世界観を愛し、そこで戯れているのであって、岩井ヒロインをロールモデルとしているわけではないからだ。それは男たちが、ジャッキー・チェンやジェダイの騎士やアムロ・レイという人間に、本気で「なりたい」わけではないのと同様である。
「なりたい」と「世界観が好き」を混同してはならない。「あなたのことが好き」と「あなたに興味がある」を混同しがちな童貞野郎は、特に間違えがちな引っかけ問題だ。ここは試験に出る。
だいたい、七海も含めた岩井ヒロインは本来的な意味での“非実在美少女”、つまりファンタジーの産物だ。あんな女性は実在しない。あれは、ある種の男の願望の産物である。
岩井ヒロインは、よく男性の岩井信者から「健気」と褒めそやされるが、「健気」をググると、トップには「(女性・子供など)力の弱いもののかいがいしさが、ほめてやりたいほどであること」という説明が出る。男側からの圧倒的な上から目線だ。
男が少女を「健気だ」と愛でる思考の底の底には、「最終的には力づくで組み伏せられるけど、そうはしないでジェントルに振る舞う俺素敵」といったロールキャベツ男子的なメンタリティが、幾分かは漂っている。ある種のエロゲーや美少女アニメ界隈で一時期一世を風靡した、「心優しい異能力者の俺が、か弱い美少女を保護する」という、クラシックなマッチョイズムにも近い。まさに非実在、まさにファンタジー。
しかも、劇中で黒木が幾度となく披露する「困り顔」は男の庇護欲を、「申し訳ない顔」は男の性的な嗜虐心をくすぐる。「俺が、俺こそが華ちゃんを救ってあげられるんだぁ」という庇護欲と、責めて責めて責めまくって「ごめんなさい、ごめんなさい」と華ちゃんに言わせたい嗜虐心。両軸合わせて最下等の征服欲にも近いが、リアル社会では物心両面で非力な文化系男子が欲望する、理想のファンタジーには違いなかろう。精神的ポルノという呼び方もあるが。
自称映画好きの文化系男子が、「どんな映画が好き?」→「俺も一緒。価値観合うね!」で距離を詰めようとするのは常套中の常套手段。だが、こと本作に関しては、ヒロインに萌え狂う男と岩井的世界観にまみれたい女との間に、価値観の大きな断絶がある。それに気づかない岩井信者のアラフォー男性が、20代女性に「映画指南」と称し、作中の耽美な少女性を喜々として語り歓心を買おうとするのは、「俺、鬼畜でーす!」と拡声器で叫んでいるのと同じ。くれぐれも注意されたし。
なお、映画のラストで七海は「おひとりさま」化する。彼女は冒頭で結婚して専業主婦となるが、中盤でボロボロになって離婚し、いろいろあったのち、最後は新居でひとり暮らしを始めるのだ。一見して、穏やかで晴々しいおひとりさまライフの門出。ハッピーエンドである。
しかし筆者が終映後に席を立った際、近くにいた20代後半女性ふたり組のうちのひとり(旧「クウネル」系、黒髪マッシュルーム、化粧っ気なし)が、こんなことをつぶやいていた。「仕事できる子でもないし、非正規(雇用)だし、バツイチなのに、これからどうやって生活費稼ぐんだろ?」。
彼女たちは、ファンタジーと現実に明確な区別をつけている。そう、オンナノコは、ファンタジーな世界観を春物コートのように軽くまとっているだけであって、必要とあらば、いつでも着脱できる。夏物と冬物を同じクローゼットに収納する程度の気軽さで、「彼氏がいること」と「処女性を前面に出したアイドル声優として活動すること」を完全両立できる。それが、オンナノコという種族特有のアビリティなのだと知るべし。
一方、同じ館内で「華ちゃんの透明感~、理想の嫁~」などと目を細める30代男性の能天気ぶりを見るにつけ、男女の性差が引き起こすミスコミュニケーションは、ほとんど社会問題だなと感じ入った次第である。
なお、黒木は14年に歩きタバコをフライデーされているが、歴代岩井ヒロインである松や蒼井の喫煙も、界隈では知られた話。透明感女優がタバコを吸ってはいけない道理など微塵もないが、繊細ボーイズには辛い現実かもしれない。
ただまあ、パナマ文書の流出で、僕らのジャッキーに資産隠しの疑いがかけられるようなご時世だ。とりあえず喫煙くらい大目に見てやってほしい。ジャッキーだって蓄財するし、天使だってタバコくらい吸う。そして岩井ヒロインは実在しない。男どもがそれらを認めて初めて、男女が同じテーブルに着けるのだから。
『リップヴァンウィンクルの花嫁』
2016年・日本、監督:岩井俊二。劇中で七海と擬似百合関係になるAV女優・里中真白を演じるのは、90年代の情緒不安定歌姫ことCocco。散りばめられたガンダムネタ、ほとばしる岡崎京子感も併せて、30~40代オッサンホイホイが満載の一本だ。
稲田豊史(いなだ・とよし)
編集者/ライター。キネマ旬報社で、書籍編集者を経て2013年よりフリー。『セーラームーン世代の社会論』(単著)、『ヤンキーマンガガイドブック』(企画・編集)、『押井言論 2012-2015』(編集/押井守・著)、『ヤンキー経済 消費の主役・新保守層の正体』(構成/原田曜平・著)、『PLANETS』(共同編集)など。出版社時代の編集担当書籍に『団地団 ~ベランダから見渡す映画論~』(大山顕、佐藤大、速水健朗・著)、『全方位型お笑いマガジン「コメ旬」』(ラリー遠田:責任編集)がある。