(写真/永峰拓也)
『刑罰と犯罪』
チェーザレ・ベッカリーア (風早八十二・五十嵐二葉訳)/岩波書店(38年)/660円+税
1762年に刊行。当時の封建的刑罰制度の中で執行される死刑と拷問に対して社会契約説の立場から痛烈な批判を行い、その廃止を訴えた初の書として知られる。その後のヨーロッパ各国の近代刑法改革に大きな影響を与えた。
『刑罰と犯罪』より引用
あらゆる時代の歴史は経験として証明している。死刑は社会を侵害するつもりでいる悪人どもをその侵害からいささかもさまたげなかった。(省略)
刑罰が正当であるためには、人々に犯罪を思い止まらせるに十分なだけの厳格さをもてばいいのだ。(省略)
このようにして、死刑と置きかえられた終身隷役刑は、かたく犯罪を決意した人の心をひるがえさせるに十分なきびしさを持つのである。それどころか、死刑より確実な効果を生むものだとつけ加えたい。
人はしばしば、平静な断乎とした表情で死に向う。ある者は狂熱のため、ある者は墓のむこうがわまでわれわれについてまわるあの虚栄心のために。そしてある者は生活に疲れ、絶望して、悲惨な境遇から逃避する手段として死を見るために。
だが、この狂熱も虚栄も、鉄格子の中、おう打の下、くさりの間では罪人どもを見すてて行ってしまう。絶望も彼らの悲惨状態を終わらせる役にはたたう、かえってそれを始まらせるのだ。
これまで2回にわたって死刑の問題を考えてきました。1回目はチェーザレ・ベッカリーアの死刑廃止論をとりあげました。ベッカリーアはヨーロッパの哲学の歴史においてはじめて、近代的な刑法の理論として死刑廃止を主張した思想家です。2回目はイマヌエル・カントのベッカリーア批判を取り上げました。カントは死刑に賛成していました。他人の命を奪うような凶悪な犯罪に対して正義を実現するためには死刑は必要だ、という考え方からです。そのカントがベッカリーアの死刑廃止論をどのように批判したのかを検討したのが、2回目にあたる前回でした。
今回はふたたびベッカリーアの死刑廃止論をとりあげましょう。ベッカリーアは社会契約論のロジックを応用して死刑制度を批判しました。カントもまたその社会契約論にもとづいて、そのロジックを解釈しなおすことでベッカリーアを批判しました。どちらも社会契約論という、同じ社会理論の土俵のうえで議論を展開していたんですね。その議論は哲学史的にみてひじょうにエキサイティングで興味ぶかいものですが、じつはベッカリーアの死刑廃止論にはそうした社会契約論の文脈を離れてもひじょうに興味ぶかい論点が含まれています。今回とりあげたいのはその論点です。