――ゼロ年代とジェノサイズの後に残ったのは、不愉快な荒野だった?生きながら葬られた〈元〉批評家が、墓の下から現代文化と批評界隈を覗き込む〈時代観察記〉
東京村とサブカル村との相対化のさじ加減が絶妙な三条Pの『ストリーム』は平日昼ワイドの傑作だった。
ラジオは仕事に不可欠だが、ピアノを弾くわけでもないのに完全防音仕様の自室で受信可能なのは、NHKとTBSラジオだけでひどく難儀していた。しかし、IPサイマル放送を使えば、エフエム沖縄の『ゴールデンアワー』まで聴ける。『誠のサイキック青年団』の録音テープを大阪の友人から送ってもらっていた学生時代には想像もしなかったが、たまに旅に出た時も携帯ラジオを聴いているのは、その土地の精神性を知るにはラジオが一番良いからだ。そして、筆者は東京出身なので、今回はTBSラジオの話だ。
4月から、平日朝ワイドが『大沢悠里のゆうゆうワイド』から『伊集院光とらじおと』に交代した。テレビなら『笑っていいとも!』終了級の大事件なので、この改編は慎重に行われた。土曜の朝ワイドを永六輔からナイツに交代した昨年の時点で、東京の芸人で若返りを図るのが既定路線だったようだが、ナイツより年長で格上で旬で東京弁の芸人は、伊集院とおぎやはぎとさまぁ〜ずくらいしかいない。浅草出身で東京ローカル文化を体現していた六輔&悠里の後釜となると、教養と「血筋」がないと年長のリスナーが納得しない。結局、内海桂子が後ろ盾のナイツ以上に説得力を持つのは、圓楽一門会出身の伊集院しかいなかった。とはいえ、かつて担当していた昼ワイド『日曜日の秘密基地』は時折、癇に障る不安定さがあったから、番組構成もかなり慎重である。『毒蝮三太夫のミュージックプレゼント』を内包しなかったのも「両雄並び立たず」を避けるためだろう。