(写真/永峰拓也)
『カント全集 第11巻 人倫の形而上学』
イマヌエル・カント(吉沢伝三郎・尾田幸雄訳)/理想社(69年)/8350円+税
1797年に刊行されたカント晩年の著作。第一部『法論』では私法と公の区分から生得的な権利と法、国家状態における法の哲学的基礎づけを試み、第二部『徳論』では人間の道徳や義務について実践的倫理学として体系的に論じる。
『人倫の形而上学』より引用
或る人が刑罰をこうむるのは、彼が刑罰を欲したからではなくて、彼が或る処罰されて然るべき行為を欲したからである。というのは、もし或る人の身に彼の欲することが起こるのであれば、それは刑罰ではなく、また、罰せられるということを欲するということは不可能であるからである。――もし私が誰かを殺害するならば、私は罰せられることを欲する、という言い方は、私は一切の残りの者たちと共々に、もし人民のなかに犯罪者がいるならば当然また刑罰法則ともなるであろう諸法則に服従する、ということ以上の何ごとをも意味しない。刑罰法則を定める共同立法者としての私が、同一人格でありながら、臣民として法則に従って処罰されるということは、到底不可能である。〈中略〉それゆえ、もし私が或る犯罪法則を犯罪者としての私に対して作成するとすれば、私のなかに純粋な法的・立法的理性(本体的人間 homonoumenon)があって、それが犯罪能力者としての、したがって或る他の人格(現象的人間 homo phaenomenon)としての私を、公民的統一に所属する一切の残りの者たちと共々に、その犯罪法則に服従させるわけである。
前回はチェーザレ・ベッカリーアの死刑廃止論を検討しました。ベッカリーアは哲学の歴史のなかで、とりわけ近代以降の哲学の歴史のなかで、初めて正面から死刑に反対した思想家です。ベッカリーアの死刑廃止論がでたことで、死刑に賛成する側もようやく哲学の問題として死刑を擁護するようになりました。それまでは死刑は当たりまえの刑罰だったので、哲学の世界でも死刑についてそれほど踏み込んだ議論がなかったのです。
そのベッカリーアの死刑廃止論に厳しく対峙したのは18世紀ドイツの哲学者、イマヌエル・カントです。カントは死刑に賛成していました。カントは、他人を殺した人間はみずからの命によってその罪をつぐなうのでなければ正義は回復しない、と考えました。そこにあるのは、人間はみな自立した人格として尊厳をもつ以上、正当な理由なく他人に損害をあたえた人間はそれと同等の損害を被らなくてはならない、という正義論です。こうした正義論から死刑を肯定するカントにとって、ベッカリーアの死刑廃止論は哲学的に見過ごすことのできないものだったのです。