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写真時評~モンタージュ 現在×過去~

日米合作の天皇イメージ

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「LIFE」1946年2月4日号(個人蔵)

 1945年9月2日に降伏文書に調印した日本では、アメリカ主導による占領が進められた。アメリカ政府の「天皇制を支持はしないが、利用する」という初期対日方針は、昭和天皇個人の処遇について明確にするものではなく、連合国諸国の間でも天皇制存続に反対する意見も出ていたため、「国体護持」について予断を許さない状況が続いた。天皇サイドとしての火急なる課題は、昭和天皇個人の訴追と退位を回避し、天皇制を維持するということにあり、そのために天皇イメージの転換が模索されていた。

 そんな折、アメリカのグラフ誌「LIFE」から昭和天皇一家の撮影依頼が舞い込むのだが、昭和天皇とダグラス・マッカーサーとの屈辱的な会見写真で苦い思いをした矢先ということもあってか、皇室はアメリカ人による撮影を拒んだという。日米双方の綱引きの結果、山端祥玉が45年10月に設立した写真通信社サン・ニュース・フォトスが担うこととなり、天皇のいわゆる「人間宣言」が新聞各紙に掲載された1月1日に祥玉が宮内省嘱託に任じられた(白山眞理『〈報道写真〉と戦争 1930-1960』、吉川弘文館)。祥玉が戦前に起こしたG・T・サン商会は、軍部や政府機関から対外宣伝用写真の撮影やプリントの制作を受注しており、昭和天皇撮影の実績もあった。そして何よりも、祥玉は天皇に敬意を抱く日本人であった。

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