――1990年代以降一般化し、多くのライトマニアを生み出した「廃墟ブーム」。「軍艦島」に象徴されるように、いつの間にやら好事家の嗜好品から「我々日本人の記憶」へと変貌を遂げた廃墟をめぐる歴史を追う!
『廃墟の歩き方 探索篇』(イースト・プレス)
今年7月5日、ユネスコ世界遺産委員会の決定によって、日本全国23施設の「明治日本の産業革命遺産」が「世界文化遺産」として登録されたことは記憶に新しい。そのなかでも特に大きなインパクトをもって受け止められたのは、長崎県の南方に位置する「端島」。そう、あの「軍艦島」である。
1974年に炭鉱が閉山、住人全員が島を退去して以降30年近くも手つかずのまま放置されたこの島が、いわゆる「廃墟マニア」から「日本最大の廃墟」として垂涎の的となっていたことはよく知られている。では、いつから……?
今となっては当たり前のように語られる「廃墟マニア」、そして彼らが巻き起こした「廃墟ブーム」とは、いつ、どのような形で始まり、その背景には何があるのか? 本稿では、そんな問いに挑んでみたい。
試しに、豊富な雑誌データベースを所有することで知られる私設図書館・大宅壮一文庫で「廃墟+建築」で検索をかけてみると、その数は2002年にいったんピークを迎える。実際に当時の記事を眺めてみると、「廃墟を楽しもう!」「廃墟写真集なぜか人気」など、確かにブームの到来を感じさせる言葉が数多く並ぶ。廃墟ブームの黎明期を知り、「廃墟愛好家」という肩書のもと数々の廃墟本を上梓してきたその道20年のライター・中田薫氏は、自身の廃墟との出会いについて、次のように語る。
「今から20年ぐらい前――95年頃、雑誌の取材で富士の樹海に行ったことがあって。そのとき、雨宿りでたまたまドライブインの廃墟に入ったのですが、そこで非常に掻き立てられるものがあったんです。なんでそこが廃墟になったのか、すごく興味が湧いてきた。で、『これはちょっと連載でやってみようか』っていう話になって、最初は雑誌の1ページのモノクロ連載だったものが、やがて4ページのカラーになり……とにかく読者からの反響がすごく大きかったんですよね」(中田氏)
サブカル誌が最後の輝きを放っていた当時、その先頭に立っていた雑誌「GON!」(ミリオン出版)のモノクロ連載としてスタートした中田氏の「廃墟探訪」は、やがて『廃墟探訪』(02年/二見書房)として単行本化されるなど、掲載媒体を替えながら、通算15年近い長期連載となる。「廃墟」に関する記事そのものがまだまだ珍しかったという90年代半ば。「廃墟」をめぐる当時の状況とは、どんなものだったのだろうか?