――古来より、時の権力者がその力を誇示するものとして、建築物は大いに利用されてきた。また、その時々の社会の思想潮流が反映されるのが建築物の特徴でもある。そうした中にあって、現代の政治家は建物をどう活用しているのか?かつて戦後政治の立役者たちの私邸を訪れて回った『権力の館を歩く』なる書を上梓している政治学者・御厨貴に、その意味するところを尋ねた。
(写真/若原瑞晶・D-CORD)
――政治と建築というテーマでお話を伺いたいのですが、旬な話題ですと、新国立競技場の問題が、安倍(晋三)首相の介入によって「白紙撤回」というひとまずの決着に至りました。これはどう受け止めてますか?
御厨 一番の問題は、前日まで「変更はしない」と言っていた政府が、急に「白紙」にする、「まだ間に合う」って言い始めたこと。これまでの内閣で、こんな手のひら返しはあり得なかった。一度決定したことを、内閣の支持率が下がっているというちまちまとした理由で覆すって、でたらめすぎますよ。政治の言葉が軽くなっている。
――今回の東京五輪の唯一の建築的シンボルが新国立競技場なわけですが、それが空転しているというのは、政治と建築の現在をとても象徴している気がします。
御厨 一方で、登場した建築家たちの振る舞いも、権力の中の権力闘争のように見えました。「ああ、建築家がついに権力を目指すのか」と。64年の東京オリンピックのときは、まだ建築家たちには「政治家の邸宅などつくってたまるか」という反権力の心意気があった。でも、建築家の槇文彦さんたちが、ザハ・ハディドの設計案を突き崩していったのは、私も最初の段階では、槇さんがドン・キホーテのように見えて応援したのですが、その後の展開をみるととても反権力には見えない。あれは権力対権力の争いであって、国民は遠いところに置いていかれてしまった、というのが感想です。
――御厨さんが2010年に刊行された『権力の館を歩く』は、政治と建築を結びつけた著書ですが、取り上げる対象の中心は、巨大建築ではなく、日本の政治家の私邸や別邸であり、ライフスタイルに規定される政治について論じています。今どきの政治家の邸宅は、私邸も別邸もあまり語り甲斐がないものになっていそうですけど。
御厨 別邸を持って活用していた政治家も、最後は中曽根(康弘)さんくらいでしょうね。細川の殿様(細川護煕)とか炭鉱王の息子・麻生太郎とかは別として、サラリーマン総理は別荘なんか持たないし持てないし、そこを利用しようとする気もないでしょう。安倍さんは河口湖に別荘を持っていますけど、週末に必ず帰るとか、夏をずっとそこで過ごすといった使い方はしてません。