――かつて新右翼の活動家・見沢知廉は小説『天皇ごっこ』で、精神病院に入院している患者たちがこぞって「我こそは天皇」と言い募るさまを描いた。医学的には、こうした症状を「血統妄想」という。健康な精神状態であれば日常生活の中で「天皇」を意識する機会は少ない。ではなぜ、精神病患者たちの妄想の中には、「天皇」が入り込んでくるのだろうか?
めかしこんで入院患者をしたがえる葦原金次郎。(画像/近代デジタルライブラリー)
平成のこのご時世、“天皇”という存在と自分自身の関係を強く意識することは少ない。だがしかし、右派左派という思想信条を持つ人のみならず、実は「天皇」という存在が日本人の意識下に深く刻まれていることには変わりはない。新右翼の活動家で、スパイ殺害事件などで逮捕歴もある作家の見沢知廉が執筆した小説『天皇ごっこ』(95年/第三書館)では、「陛下の赤子」という言葉を使ってその影響力の強さを表現している。しかし、影響力があまりに絶大だからこそ、時には少々困った事態を引き起こしてしまうこともあるのだ。
精神医学の世界では、自身が高貴な者、もしくは高貴な者と関係があると妄想する「血統妄想」という症例がある。日本では、この血統妄想の対象として、天皇や皇族がしばしば選択される。「私は天皇の隠し子である」「皇族の血筋を継いでいる」といった類いの妄想である。『天皇ごっこ』では、精神病院で天皇を題材とした演劇を企画して治療を試みる様子や、自身を天皇と称し、世界の建て替え建て直しを主張する患者の様子などが描かれている。
実在の人物でも、葦原金次郎(1852-1937)という、天皇を自称した患者として戦前に注目を集めた人がいる。元は櫛職人だったが統合失調症を発症し、誇大妄想を抱くようになった。大澤真幸の『近代日本思想の肖像』(講談社学術文庫)によると、明治天皇が巡幸に来た際に、「やあ、兄貴」と声をかけたこともあった。「不敬」と捉えられかねない葦原の振る舞いだが、東京府が開催した東京大正博覧会(1914年)で石膏像が展示されるほど、当時の国民から好奇の目で見られ、名物男として知られた存在だったという。