――数々の芸能スクープをモノにしてきた芸能評論家・二田一比古が、芸能ゴシップの“今昔物語”を語り尽くす!
『キンキン恵比寿の「強運あげます」』(コスモトゥーワン)
亡くなった愛川欽也さん(享年80)の取材をめぐる、家族とメディアの駆け引きは考えさせる一面もあった。
愛川さんがライフワークとしていたレギュラー番組『出没!アド街ック天国』を突如、降板したことがきっかけとなり「重病説」が流れ出した。次第に報道は加熱。「看護ベッドが家に運び込まれた」などと報道され、緊急事態であることが容易に想像できた。それでも、妻のうつみ宮土理は「風邪を引いただけ」と重病説を否定していた。結局、「肺ガン」をずっと隠し通し、4月15日に息を引き取った。
「愛川さんらしい」と芸能関係者がこう話す。
「昨年亡くなった高倉健さんも菅原文太さんも病気を隠して密かに入院。亡くなるまで病気であることを誰も知らなかった。愛川さんも同じタイプで、仕事以外でマスコミを賑わせたり、人に迷惑をかけたくないという気持ちが強かった。それで妻に嘘を言わせてでも病気を公表しなかったのだと思います」
逆に病気を公にするケースもあるが、芸能人が生死に関わる大病になった場合、取材する側は神経を使う。男女のスキャンダルのようにただ事実を集めて報道できるものではないのが病気である。昔、こんなことがあった。ある役者がガンで入院。それを察知した一部のメディアが報じようとしたが、事務所は厳重に抗議した。
「本人にガンと言うことを告知していない。その報道により本人が知ることになる。その責任をどう取る」と言ってきたという。
当然、報道は自粛した。今でこそ、ガンの告知は当たり前のような時代だが、大病に関しては憶測で報じないのが原則である。近年は芸能人側から病名を明かすことが多くなった。それには“やむを得ない”理由もある。
「一線で仕事をしている人が病気や入院によりレギュラー番組を降板したり、長期間休むことになれば、休む理由を明かすしかない。まして、ネット社会の現代。理由を言わなければ変な噂が流れてしまう危険性がある」(芸能関係者)
入院を公表すれば、メディアは騒ぎ、ある種の取材合戦が展開される。古くは夏目雅子さんのケースである。白血病で慶応病院に入院。誰もが知りたいのが病室の様子。それを写真誌が撮った。それは衝撃的なものだった。
「今と違い当時の病院は部外者に対しての警備が緩かった。見舞いと一言言えば、フリーパスみたいな雰囲気。よく隠しカメラを持って病室を歩いたものです。それでも大きな病院になれば、広くて入院している病室を探すのも難しい。なかには医師が羽織る白衣を借りてきて、医師のような顔をして病院内を歩いて探していたつわもののカメラマンもいたそうです。ただ、芸能人は個室に入院する。今の大きな病院の個室は特別なフロアーにあり、そのフロアーに出入りするのも難しい。病室の様子を撮影するなんて絶対に無理でしょう」(ベテランカメラマン)
ちなみに今の大病院の個室は高級マンションと変わらず、中から開錠してもらわないとあかない。政治家が「一番安全なところ」と逃亡先に病院を選ぶのも道理である。
夏目さんの写真に刺激されるように病人のメディアの取材合戦も過熱。著者も経験がある。美空ひばりさんが一時、福岡の病院に入院したとき、見舞客のふりをして潜入したことがある。地方の病院は都内よりも警備は緩い。ひばりさんの個室近くの廊下の長いすで待ったが、さすがに長時間いれば不自然。あっという間に病院職員に見つかり、つまみ出された。
隠すより病状をオープンにしたのが石原裕次郎さんだった。「石原プロ」が入院先の慶応病院内にマスコミ用の対応施設を設置。毎日のように「今日の状態」といった情報を開示していた。これによってマスコミを通じ日本国民が裕次郎さんの回復を願うことになり、「入院フィーバー」のような様相になっていた。病気になった場合は公表するも伏せるも芸能人の判断に委ねるしかない。
芸能界も高齢化が始まっている。今後も病気や入院などの情報が錯綜することになるのは必定。その時メディアはどう対応するのか、愛川さんの場合はあくまでもレアケースだった。
ふただ・かずひこ
芸能ジャーナリスト。テレビなどでコメンテーターとして活躍するかたわら、安室奈美恵の母親が娘・奈美恵の生い立ちを綴った「約束」(扶桑社刊)、赤塚不二夫氏の単行本の出版プロデュースなども手がける。青山学院大学法学部卒業後、男性週刊誌を経て、女性誌「微笑」(祥伝社/廃刊)、写真誌「Emma」(文藝春秋/廃刊)の専属スタッフを経て、フリーとして独立。週刊誌やスポーツ新聞などで幅広く活躍する。現在は『おはようコールABC』(朝日放送)、『今日感テレビ』(RKB毎日放送)などにコメンテーターとして出演。