――ビデオジャーナリストと社会学者が紡ぐ、ネットの新境地
『止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記』(講談社)
[今月のゲスト]
島田裕巳[宗教学者]
――「地下鉄サリン事件」から20年が経過した。一連のオウム裁判はほぼ終了し、日本はオウムをめぐる議論に冷静さを取り戻したかのように思われる。はたして、何が変わり、何が変わっていないのか? 事件を第一線で取材したジャーナリストと社会学者、そして宗教学者が「オウムとは何だったのか?」を総括する。
神保 今回の収録日は3月20日、1995年の地下鉄サリン事件からちょうど20年になります。今日はあの事件から20年を経て、何が変わり、何が変わっていないかを考えてみたいと思います。
宮台 直近ではイスラム国による一連の事件がありましたが、その少し前から社会学や政治学の領域で「近代化に伴って宗教は力を失っていくと考えられてきたが、逆の方向になっているのはなぜか」が議論されるようになりました。一方で、グローバル化(資本移動自由化)を背景に、不公正な格差をもたらす〈資本主義〉を〈国民国家〉が温存する結果、社会が空洞化して〈民主制〉が誤作動する状況です。他方で、社会の空洞化のせいで、見ず知らずの国民を〈われわれ〉として意識できなくなった結果、空洞を埋め合わせるものとして〈宗教〉がますます上昇する状況です。それゆえ、昔は上から目線で「宗教を、社会とどう両立させるか」という問題設定でしたが、最近はむしろ「宗教と社会の両立不可能性が生じる場合、社会を問題にするべき」という議論になってきました。
神保 ゲストは宗教学者の島田裕巳さんです。
島田さんはオウムの事件の際にはテレビなどに頻繁に出演されていましたが、その後、オウム真理教を擁護しているといった批判を受け、マスコミから激しいバッシングを受けました。結果的に当時勤務していた大学でも、退職に追い込まれたと伺っています。
島田 宮台さんにも厳しいご批判をいただきました。
宮台 ご出演いただけないのではないかと心配していました。当時は島田さんだけを批判したのではなく、自己啓発セミナーが用いてきた定型的な洗脳術を用いるオウムのやり方に危険を感じずに「深い宗教」と見做すのはヤバいと警告していました。後で申し上げるように、オウムにとって総選挙に打って出た1990年は重要ですが、僕は80年頃から自己啓発セミナーに出入りしていたので、オウムの教義に興味を持たず、やり方にだけ注目していました。
実は僕は83年ごろに自己啓発セミナーを東大大学院の社会学専攻に紹介した張本人で、一挙に大勢が参加しましたが、当時は「参加するなら危ないので真に受けないように」と言って回っていたので、セミナーに睨まれて出入り禁止になったりしました。
神保 議論に入る前に、オウム真理教が関連した事件の概略を確認します。
88年9月に在家信者が激しい修行の結果、死亡するという事件がありましたが、ちょうどその頃オウムは宗教法人の認証を受ける直前で、死亡事故のことが明るみに出ると認証を受けられなくなることを恐れ、事故を隠蔽しました。89年2月には死亡事故のことを知った信者の田口修二さんが殺害され、同11月にはオウム問題を追及していた人権派弁護士の坂本堤さん一家殺害事件が起こりました。90年2月、麻原彰晃ら25人が総選挙に立候補したものの全員落選、92年9月にオカムラ鉄工乗っ取り事件、93年12月に池田大作サリン襲撃未遂事件があり、94年には1月に信者の落田耕太郎さんリンチ殺害事件、5月に滝本太郎弁護士サリン襲撃事件、6月に松本サリン事件、自動小銃密造事件、12月に脱走信者をかくまった水野昇さんへのVX襲撃事件、スパイを疑われた浜口忠仁さんVX殺害事件などが起きています。さらに95年、1月に読売新聞が上九一色村でサリン残留物検出と報じ、2月に目黒公証役場事務長の仮谷清志さん逮捕監禁致死事件がありました。そして、95年3月に問題の地下鉄サリン事件があり、その2日後に山梨県上九一色村の教団施設に対する警察の一斉捜索がありました。
しかし、その後も、国松孝次警察庁長官狙撃事件や4月に村井秀夫刺殺事件、5月に新宿駅青酸ガス事件、麻原彰晃逮捕、東京都庁小包爆弾事件などが相次ぎます。こうして見ていくと、本当に多くの事件を引き起こしていますが、これがいずれも宗教団体によるものだったということです。
まずはこうした一連の事件に関して、島田さんが注目していることはありますか?
島田 出発点になったのは、最初に信者の死亡事故を隠蔽したことで、これが後の事件の発端になっています。殺そうという意図はなかったと考えていいと思いますが、「修行」自体が非常に激しく荒っぽいもので、死者が出るのは必然だったかもしれません。同年に殺害された田口修二さんはこの事故を知っていた信者で、その犯行に関わっていた人たちが中心になり、坂本弁護士一家殺害事件を起こします。この2つの事件を契機にして、そのようなグループがオウムの中に出来上がり、後に影響していく原点になりました。
宮台 僕は90年の総選挙で、オウムとしては、もう少し票が取れると考えていたのが、有権者から相手にされなかったことが、その後の事件の大きな背景になっていると考えます。オウム真理教に限らず、選挙での失敗をきっかけに、宗教団体などが「この社会で通常のやり方で世直ししようとしても無駄だ」と、反社会的性格を強める例はいくつもあります。典型的には「誰かが票を操作したんだ」という陰謀史観に向かいます。オウムもそうでした。