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第1特集
全盛期でギャラは3万5000円!?

全盛期でギャラは3万5000円!?女子プロ最恐ヒールが試合で手にした小刀(ドス)の意味

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――近頃、イケメンレスラー目当てのプロレス女子が会場に押しかけて、人気を博す男子プロレス。では、女子プロレスはどうか? 今も現役で活躍するレジェンド・レスラー、ダンプ松本に聞いた知られざる女子プロのタブーと現状。

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(写真/江森康之)

 昨年10月、女子プロレスの現状を伝えたドキュメンタリー『ザ・ノンフィクション~敵はリングの外にいた』(フジテレビ)が大きな話題となった。その番組内容に敬意を表し、ドキュメンタリー監督である松江哲明氏が、本誌ウェブサイト「サイゾーpremium」の限定連載にて「ダンプ松本が寂しい中年に――生活保護に親のたかり……あの女性レスラーたちが悲惨な今に立ち向かう!」なる記事を寄稿。SNS上で広く拡散された。

 史上最強のヒール・ダンプ松本は、現在54歳。1980年に20歳でデビューし、84年にブル中野やクレーン・ユウ、影かほるらとヒール集団”極悪同盟”を結成。長与千種とライオネス飛鳥のタッグ”クラッシュギャルズ”と巻き起こした抗争は、女子プロ全盛期を語る上では、決して避けては通れない歴史的功績のひとつだ。88年の引退後はタレントに転向し、芸能活動に本腰を入れた。それから約15年後の03年、”女子プロ界には本物のヒールが不在”という理由から現役復帰を果たし、芸能活動を一旦休止。全盛期同様とはいかない体力の衰えもあり、度重なる激闘で体はボロボロだ。今後の不安もあり、「夜は薬を飲んで寝ている」という状態を先のドキュメンタリーで赤裸々に語っている。しかし、「もう一度女子プロレスを盛り上げたい」という意志は強く、全盛期は敵対関係にあった元クラッシュギャルズの長与千種が14年に始動させたプロデュースイベント「That's女子プロレス」のリングで、全女(全日本女子プロレス)を盛り上げた大勢の仲間たちと大暴れしている。

 取材当日、待ち合わせ場所に現れたダンプの左目には痛々しい青あざがあった。「やるばかりじゃなくて、やられる時もあるから、仕方ないよね」――。ダンプは笑顔で応じ、女子プロの見えざる”闇”と、未来の展望を軽やかに語り始めた。

――『ザ・ノンフィクション』の放送には衝撃を受けました。

ダンプ松本(以下、ダンプ) 去年は『中居正広のミになる図書館』(テレビ朝日)や『私の何がイケないの?』(TBS)にも出演したんですが、やっぱり『ザ・ノンフィクション』の内容が一番衝撃的だったみたいですね。番組の取材は1年がかりで行われたんだけど、居酒屋で自分が泣いちゃったシーンは「酔わないと絶対に本音を言わないから」って理由で、泣くまで飲まされたくらい。それもやっぱり、女子プロを盛り上げたい気持ちがあるからなんですよね。

――先行きの不安やご両親の面倒など、普通の40〜50代の悩みをダンプさんも長与さんも抱えている姿が多くの共感を呼ぶと同時に、女子プロレスの現状も気になりました。『全日本女子プロレス中継』が地上波のゴールンデンタイムで放送された80年代を知るダンプさんから見て、今の女子プロレスの盛り上がりはどう感じていますか?

ダンプ 今の子たちもがんばっているんだけど、「かわいそうだな」って思う。先輩レスラーは「すぐやめちゃうから」って下の子を全然育てないし、(団体に所属しない)フリーの子も多いから、遊びやバイト感覚で続けていても、「プロレス最高!」っていう喜びにはつながらないんじゃないかな。

――女子プロの試合のギャラはわずかで、会場で売るグッズの売り上げが収入源だとも聞きます。

ダンプ 試合よりも「グッズの販促をがんばれ!」っていう団体もあるくらいですからね。

――でも、それも女子プロを支える大事な収入源になっていることも、理解はできると。

ダンプ 実際、試合のギャラだけで生活できないことは百も承知ですからね。でもね、「(試合当日は)アルバイトのシフトが……」なんて聞くと、「どっちが本職なの?」って思うし、それじゃお客さんも増えないし、楽しんでももらえない。女子プロレスを盛り上げるためには、選手も変わらなくちゃいけないけど、団体の上の人も変わらないといけないと思う。

――80年代の全盛期は、ギャラもよかったんですよね?

ダンプ それがね、儲けは全部会社だったの。4人の兄弟(全女は、創業者である松永高司4兄弟の同族経営。会長の松永高司氏は多くの全女レスラーから慕われていた)が家を買って、別荘買って、車買って、クルーザー買って、山も買っての贅沢三昧。あの頃、会場の当日券売り場でお金とチケットを交換していたんだけど、そのお金を入れていた足元のみかん箱にお金が入りきらなくなってね、足で踏んで無理やり押し込んでたんですよ。お金を足で踏むなんて考えられないでしょ?しかも、そのお金を松永兄弟が少しずつ自分のポケットに入れてるところを、選手たちみんなが見ていましたからね(笑)。

――選手たちはもらえなかった?

ダンプ 満員御礼で大入り袋で1万円はもらえたかな。当時、1試合のギャラが3万5000円。月給じゃなくて”出場給”だったから欠場したらゼロ。(長与)千種が手術して3カ月休んだときがあったけど、その間はノーギャラだったと思いますよ。入場するときのガウンも、試合で着るコスチュームも、全部自己負担でしたからね。極悪(同盟)は最初に革ジャンだけ作って、あとはずっとTシャツでしたから(笑)。

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