――戦前においては、その肖像は崇拝の対象として扱われており、戦後も天皇の肖像を描くことは、長らく右翼団体などによりタブーとされてきた。しかし、昨今では、週刊誌の編集部に街宣車が押し掛けるような事態も少なくなったと聞く。また映画でも天皇を描いた作品は存在する。では、マンガという日本が独自に進化させてきた表現手段は、天皇というタブーにどう切り込んできたのか?
(絵/小笠原 徹)
「菊タブー」という言葉があるように、近代の天皇を表現の対象にすることには禁忌がつきまとう。批判的に描くことは言うにおよばず、仮にそこまでしなくとも、扱い方次第では、描く側にそうした意図がなくとも、右翼団体などから「不敬」という烙印を押されてしまうかもしれない。
さて、本稿のテーマは、マンガというビジュアルを伴う表現において、天皇がどのように描かれてきたか、である。しかし、取り扱うこと自体が難しいテーマだけに、そもそも対象となる作品の数は圧倒的に少ない。
近年において、天皇を真正面から描いたマンガの代表格といえば、小林よしのりの『ゴーマニズム宣言SPECIAL 天皇論』だろう。反権威・反体制・個人主義という立場から、かつて「君が代」を拒否し続けてきたという小林は、プロレス観戦時の国歌斉唱に高揚感を覚えたことをきっかけに、国歌への、ひいては天皇への認識を改め始めたという。「天皇とは何かを知らずにこの世を去る。それはつまり日本人とは何かを知らないまま日本人として死ぬということなのだ」「ほとんどの日本人が『天皇』を知らないということを見抜いている!」といった発言がインパクト大な一作だ。あくまで小林の思想込みなので、フラットな内容とは言えないかもしれないが、通読することで天皇についての基礎知識を一通り学ぶことができる。現時点における、肯定型天皇マンガの決定版と言えるだろう(続編もあり)。
『NHKその時歴史が動いたコミック版 昭和史 終戦・平和編』より
あるいは、おそらく作品数としてはもっとも数が多い「歴史モノ」の存在も外せない。戦争を題材にしたフィクション作品や、「マンガで読む○○」の類い、あるいは学習マンガなどがこれに当たる。とはいえ、小林の『天皇論』にせよ、歴史モノにせよ、天皇をビジュアル化するときの手法に大きな違いはない。言うなれば、肖像をそのままトレースしたような描き方、あるいは報道の映像や写真をそのままイラスト化したものがほとんどで、例えば、会談の際に「昭和天皇のタバコに火をつけようとしたら震えていた」という、マッカーサーの証言をそのまま描写した『NHKその時歴史が動いたコミック版 昭和史終戦・平和編』のような一部の例外はあるものの、基本的にマンガ的な「動き」はない。
フィクション作品では、よく史実と史実の間にある物語を「こうだったのではないか」と、イマジネーションでもって描くが、その対象が天皇となると、想像の範囲にあることを描いてはいけないという暗黙の了解がある。つまり、「天皇がこうされた」「天皇がこうおっしゃられた」という、いわば史実として語られていること以外は描かれないのだ。これは前提として、そもそも創作に向いた題材だとは言いづらい。
また、あるマンガ編集者は、天皇を題材にすることの難しさを、こう説明する。
「多くのマンガ編集者や版元は、マンガは基本的には娯楽だと考えている。ですが、いわゆるタブーとなるテーマを扱う時には、その限りではなくなってしまうんです。例えば、一部の読者から『そんなふざけたことを描いているヤツ、それを出版する会社は許せない!』というような、過剰な反応を引き出してしまうかもしれない。例えば週刊誌などは、悪人や社会的強者といった具体的な相手を対象にして、彼らが『見せたくない』と思っているものを暴き、世に晒すことを前提に作られています。しかし、もしマンガがそうしたベクトルに向かいすぎると、純粋に読者を楽しませるという本来の目的からズレてしまうんです」