――新たな財源として声高(?)にカマされた「カジノ構想」、土壌汚染問題が焦点となった「築地移転問題」、さらには尖閣諸島購入費で集めた15億円の寄付金など、多くの人がすっかり忘れているであろう都知事による公約や政策……。一体今、それらはどーなっているのだろうか?
『石原慎太郎を読んでみた』(原書房)
「TOKYO」──。2013年9月7日にブエノスアイレスで開かれたIOC総会で、東京の名が読み上げられたときの映像を、今も鮮烈に記憶している人も多いだろう。東京都にとっては、失敗に終わった16年オリンピック招致活動を当時の石原慎太郎都知事が始めた06年から、石原・猪瀬直樹の2代の都知事にわたる、実に7年越しの悲願が達成された瞬間だった。
石原慎太郎から引き継いだ20年オリンピック招致という大仕事を成し遂げたのも束の間、徳洲会グループからの資金借入問題を追及され、就任後わずか1年あまりで猪瀬が辞任したのは周知の通り。4期13年という長さとなった石原都政の終焉から1年半で、石原・
猪瀬・舛添要一という3人の都知事が入れ代わり立ち代わりとなったわけだが、果たして石原時代から都政はどう変わったのだろうか?
それを検証するには、現在の舛添要一都知事の政策を見なければならないわけだが、”舛添都知事の目玉政策は何か?”と聞かれて答えられる人は、東京都民でも少ないかもしれない。
それでは、舛添氏が都知事に就任した直後の14年3月に刊行された『東京を変える、日本が変わる』(実業之日本社)から「舛添都政の柱5項目」を引用してみる。
【1】 史上最高の東京オリンピックとパラリンピックを実施する環境を整備する
【2】 災害に打ち勝つ都市防災と社会基盤を構築する
【3】 安心、希望、安定の社会保障と雇用政策を整える
【4】 中小企業を支援して世界をリードする産業政策を推進する
【5】 世界に通用する人材の育成と骨太の教育改革を行う
東京のみならず日本中の耳目を集めた石原都政と比べると、まだそれほど特色を打ち出せていない気もするが、そもそも石原都知事が始めた目玉政策は、その後、猪瀬、舛添都政を経て、今どうなっているのか? それを整理したのが、東京の自治体専門紙「都政新報」などの調べをもとに作成した59ページの表である。同紙の記者が解説する。
「石原知事は『東京から国を変える』をスローガンに、1期目はディーゼル車排ガス規制、大手銀行等への外形標準課税の導入など強力なリーダーシップを発揮し、国をリードする斬新な政策を次々と打ち出しました。しかし2期目以降は失速。側近政治の弊害が指摘され、05年には都議会百条委員会での議論を受け、側近だった浜渦武生副知事の解任を余儀なくされる事件も起きました」