――11月16日の県知事選を前に、沖縄が再び揺れている。普天間基地の県外移設を公約して当選したにもかかわらず、現職の仲井眞知事は、昨年12月、安倍晋三首相と会談し、年間3000億円の沖縄振興予算の見返りに公約を反故にして、基地建設を受け入れたのだ。基地問題、そして格差──沖縄の将来はどこに向かうのか?
『沖縄から愛をこめて』 (講談社ノベルス)
[今月のゲスト]
仲村清司[作家・沖縄大学客員教授]
神保 9月20日、ここ辺野古の浜で、米軍の基地建設に反対する大きな集会があり、宮台さんと沖縄にやって来ました。今回は10月1日に宮台さんとの共著『これが沖縄の生きる道』(亜紀書房)という本を出される、沖縄大学客員教授で作家の仲村清司さんをゲストに、沖縄問題について議論していきます。
宮台 ともすれば「内地/沖縄」の二項図式になりがちで、その先に未来はないので、本では仲村さんと「どうすれば二項図式で問題を覆い隠さずに沖縄の未来を構想できるか」を話しました。仲村さんは私と同い年で大阪で生まれ育った「沖縄人二世」です。
神保 仲村さんは、大阪から沖縄へはいつ戻られたのですか?
仲村 17年前に東京から那覇に移り住みました。ただ、私は大阪で生まれ育っていますので、実は「戻った」という感覚はありません。ややこしいのはそのあたりの事情で、沖縄の人の間では、僕のように内地で育った人間を、南米やハワイに移民した人々と同じように「沖縄人二世」という呼び方をします。
かつては沖縄出身者への差別があり、戦前から内地で暮らしている沖縄人や戦後生まれの沖縄人二世、あるいは大阪に出稼ぎに来ている沖縄の人たちは、自分たちの出自を隠すような生き方をしていました。事実、私も子ども時代は自分を大阪人と考えていたのに差別されたことがあります。それ以降は自分のルーツが沖縄であることに屈折した心理を持つようになりますが、90年代後半に巻き起こった沖縄ブーム以降は一転して沖縄の文化が評価されるようになります。この体験によって、自分のアイデンティティもあやふやなものになってしまいました。
神保 「沖縄人二世」というのは、沖縄人の両親から生まれ、沖縄に住んでいない方のことなんですね。
宮台 在日朝鮮人や日系ブラジル人に対する言い方同様、ルーツ意識を基点にしたラベリングで、差別的なニュアンスを含みやすい。差別は二重です。「日本人に見えて本当は沖縄人」という内地側からの差別。「沖縄人に見えて本当は非沖縄人」という沖縄側からの差別。
仲村 明治生まれの祖父母は「移民」という言葉を使っていましたね。琉球処分によって沖縄が日本に組み込まれた歴史的背景を考えると、当時の人々はいわば「亡国の民」といっても過言ではありません。なので、東京や大阪に出て行くのは、外国に行くのと同じ感覚だったのでしょう。自分自身にも日本人になりきれていない感覚がまだあるくらいですから、祖父母の世代ではより濃厚だったはずです。逆にいえば、それほどまでに「琉球」は文化的に成熟した社会を作っていた。言葉、信仰、芸能、食文化なども内地とはかなり違って「日本」と対照的でした。
神保 今回の辺野古の集会では、沖縄知事選への出馬を表明している翁長雄志那覇市長を中心に、反辺野古基地建設で沖縄がひとつにまとまりつつあるような印象を受けました。仲井眞弘多県知事が、公約を破って基地建設のための埋め立てを認めてしまったので、「反仲井眞」でまとまっているという感じでしょうか。辺野古というのは那覇からのアクセスは結構不便な場所なのですが、60台を超えるバスをチャーターして5000人以上が駆けつけたということです。また、今回の集会は活動家だけでなく、子連れの家族やカップルなど、幅広い世代の人々も大勢参加していて、運動の広がりを感じました。
仲村 これまでの沖縄の政治風土は保守と革新の対決が伝統的な構図でしたが、今回はそれまでとは異なり、保革が合同して参加する集会になりました。いわゆるオール沖縄ですね。11月16日に実施される知事選も、そのような構図になっています。昨年の12月に辺野古の埋め立てを承認して以来、反仲井眞の空気がかなり高まりましたが、それから半年もしないうちに仲井眞待望論が出始め、ついには現知事が知事選に出馬することが決定しました。一方、保守本命といわれる翁長さんが対抗馬として浮かび上がってきましたが、本当に出馬するかどうかは不透明でした。本人の意思もさることながら、最終的には野党がどこまで推すかにかかっていたのです。結果的に、自民党の那覇市議団が出馬を要請し、共産、社民党、生活などの野党が積極的に支援に回るかたちで翁長さんの出馬が決まりました。これまでの保革対決の構図に見事に風穴が開いた、新たな政治潮流といえます。そのことをありありと示す光景が、今回の集会にも象徴的に表れていました。これまでは市民運動家や組合の人たちしか来なかったような場所なのに、家族連れや一般の人たちが送迎バスに乗りきれないほど足を運んだという事実は、オール沖縄が掲げられたことによって集会や選挙にかかわりやすくなったということを示していますね。
神保 しかし、「基地問題」と「沖縄問題」は必ずしもイコールではありません。仮に翁長さんが知事選に勝ち、辺野古基地建設が白紙になったとしても、その後、沖縄はどうするのかも考えなければなりません。基地にノーと言えば、仲井眞さんが取ってきたような大型の振興策、つまり公共事業や助成金は、期待できなくなるかもしれない。しかし、その一方で、仲井眞さんに象徴されるような、「どのみち基地を造られてしまうのであれば、せいぜい取れるものをできるだけ取ってやろう」という本土に依存する路線を続けていて、果たして沖縄の将来に展望が開けるのかという問題が残ってしまいます。
仲村 仲井眞さんが辺野古基地建設の承認と引き換えに取り付けたのは、毎年3000億円を8年間という振興予算でした。沖縄ではこれまで「振興予算は、もらうのが当たり前」という感情がごく一般的にありましたが、近年になって「内地からの見られ方」を考える人たちが出てきています。沖縄選出の国会議員や自民党県連の公約違反、仲井眞知事が埋め立て工事を承認したときには、「また自分たちはタカっているように思われる」という反発が県民の間に巻き起こりました。もちろん「振興策なしで沖縄は生きていけるのか」という不安は持っていますが、ここにきて「いつまでも国に依存するのではなく、それを超えていかなければならない」という自立意識が芽生え始めています。それが今回の集会に象徴されるような政治潮流を生んだと思います。