進化の歩みを止めないIT業界。日々新しい情報が世間を賑わしてはいても、そのニュースの裏にある真の状況まで見通すのは、なかなか難しいものである――。業界を知り尽くしたジャーナリストの目から、最先端IT事情を深読み・裏読み!
ツイッターで学んだいちばん大切なこと――共同創業者の「つぶやき」(早川書房)
1990年代後半の個人サイト文化、2000年代のブログ論壇、そして10年代のツイッターと、インターネットの言論空間はその誕生以来、舞台となる場所を移してきた。現在のネット論壇は、果たしてどういった状況にあるのか? 複層化し続けるこの世界を、今回はあらためて総括してみたい。
もともと日本のインターネットの言論空間は、ブログを中心に広がってきた。私は2008年に『ブログ論壇の誕生』(文春新書)という本を書いたこともある。このブログ文化が急速に変容し、ネット言論がより重層的な形に変わってきたのは、11年の震災後といえるかもしれない。こうした変わりようを今回は追ってみたい。
変化の要因は3つある。まず第一に、ツイッターという新たな情報基盤が普及してきたこと。第二に、雑誌文化が急速に衰えて存在感をなくしてしまったこと。第三に、ネットの世代交代が進み、デジタルネイティブ第一世代だったロスジェネに加えて、80年代以降生まれが台頭してきたこと。
第一のツイッターの普及は、ブログの時代と比べてネット言論への参加者を格段に増やしたという影響がある。都市住民を中心とした一部の知的な遊びだったブログと比べると、ツイッターやフェイスブックを使う人は老若男女、都市地方にまたがって広がってきたからだ。一方で、ソーシャルメディアはその特性から、閉鎖的なクラスターになりやすいという問題も起きている。
第二の雑誌の衰退は、今のところあまり論じられていないが、非常に重要な問題をはらんでいる。ひとつは、「鉄道文化」「建築文化」「アウトドア文化」「家庭料理文化」など、さまざまな分野の多様な文化を下支えするメディアがなくなってしまったこと。パソコン系やガジェット系、萌え系などネットに基盤が移行していった文化もあるが、全体として見ればそういう移行がスムーズに行われたのはごく少数であり、趣味や専門分野の空間を包含するメディアがなくなったことで、文化が宙ぶらりんに置いていかれるという問題が起きている。また雑誌の衰退によって、「プロの書き手」が激減してしまったという事態も起きている。具体的に言えばフリーライターやフリージャーナリストといった職業の人たちだ。この人たちが雑誌で食べられなくなり、かといってネットメディアではそれほどの収入を得られず、結局は職を離れるケースが相次ぎ、ライターという職能集団が消滅しつつある。これに加えてネット言論が浸透してきたことで、プロ並みの文章が書ける専門家も増えて、プロのライターとアマチュアのライターの境界がなくなってきている。これまで専業ライターの牙城だった雑誌や書籍にも進出して原稿を書いたり、本を出したりするような人が増えた。フラット化が進み、文章を書く「プロ」という仕事は消滅していくのかもしれない。
第三の要因である、ネット世代の交代。私は99年頃からネットの世界をずっと見てきたが、ここに来て台頭してきた80年代生まれ以降の世代は、70年代生まれのロスジェネ世代と比べると際立った特徴がある。端的に言えば、被害者意識に乏しく楽天的で、冷笑的ではなく共感的、ということだ。
こうした新世代の文化を象徴しているのが、例えばシェアハウスなどの共有文化であり、フェイスブックのような悪意の少ないメディア空間であり、「意識高い系」などと旧世代から揶揄されるような社会参加意識の高さだといえるだろう。かつて梅田望夫さんが「日本のネットは残念」と発言して物議を醸したことがあったが、彼が期待していた「アメリカ的なインターネット」に近い層がいまの80年代以降生まれなのかもしれない。