法と犯罪と司法から、我が国のウラ側が見えてくる!! 治安悪化の嘘を喝破する希代の法社会学者が語る、警察・検察行政のウラにひそむ真の"意図"──。
今月のニュース
「袴田死刑囚 釈放される」
1966年、静岡県清水市(現・静岡市清水区)で、味噌製造会社専務宅が放火され、焼け跡から専務を含む家族4人の他殺体が発見された。静岡県警は従業員の袴田巖さんを逮捕し、80年に死刑が確定。しかし2011年、静岡地裁は物証の再鑑定を決定し、14年3月には再審開始と死刑執行停止を決定。袴田さんを48年ぶりに釈放した。静岡地検は、即時抗告して争う構えを見せている。
『袴田事件を裁いた男 無罪を確信しながら死刑判決文を書いた元判事の転落と再生の四十六年』(朝日文庫)
1966年に静岡県清水市(現・静岡市清水区)で発生した強盗殺人放火事件、いわゆる「袴田事件」の犯人として死刑が確定した袴田巖さんが14年3月、実に48年ぶりに釈放されました。静岡地検は即時抗告しましたが、すでに世論はこの事件を完全に冤罪とみなしているようです。
これを機に、改めて考えていただきたいことがある。それは、いったい”冤罪”とはなんなのか、ということです。「無実の罪を着せられて罰せられること」。一般的な認識はそんなところでしょう。しかし実際には、”冤罪”とはそう単純なものではない。例えば、「従犯として事件に関与したのは事実だが、主犯扱いされて本来より重い罰を科せられた」というようなケースは? 冤罪というと、とかく”完全にシロ”のケースばかりを思い浮かべがちですが、現実には、「怪しいが物証がなく、本当のところはわからない」というような”グレー”から、「まず間違いなく真犯人だが、その一方で警察の暴走により証拠を捏造された」といった”ほぼクロ”までが完全なグラデーションになっていて、ひと言で定義づけるのは困難なのです。
それに、そもそも刑事司法の究極的な目的とは、一般に信じられているような「事件の真相をつまびらかにすること」などではなく、あくまで「事後に得られた証拠をもとに、もっとも妥当性の高いストーリーを事実と認定して、国家システム上の合意を得ること」です。つまり少々哲学的ですが、”神の視点に立った真実”と”刑事司法における事実”とは、まったくの別モノとすらいえるのです。
また当然、人間の営みである以上、一定の確率で間違い、すなわち冤罪が生じてしまうのは避けられない。冤罪を論じるに当たっては、まずそうした認識を持つことが大前提になります。そこで今回は、戦後の歴史を振り返りつつ”冤罪”というものをとらえ直し、それを取り巻く日本の現状について考えてみたいと思います。
戦後から70年代半ばにかけて日本では、のちに世を騒がせることになる冤罪事件が多発しました。その最大の要因は、「警察・検察は決して誤ってはならず、すべての重大事件を解決しなければならない」という過度な社会的要請に司法側が迎合し、”刑事司法の無謬神話”を必死に守ろうとしたことです。