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町田 康の「続・関東戎夷焼煮袋」第19回

イカ焼――ネットの地図で地元を見てふと蘇るイカ焼屋の記憶

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――上京して数十年、すっかり大坂人としての魂から乖離してしまった町田康が、大坂のソウルフードと向き合い、魂の回復を図る!

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photo Machida Ko

 いい加減な魂のくびきから解放されて清々した。しかしこれでやっと人並みの郷愁に浸ることができる。いっぺん小学校の同窓会にでも行って、「俺なんか原宿でサル飼っちゃっててさ」など東京弁で吹かしてみんなに嫌われて悪酔いとかしてもっと嫌われようかな。

 と、そう思ったがそれが無理な相談なのは、若い頃より、パンクロッカーの群れに身を投じ、各地を放浪流浪してきた私の元に同窓会の報せなど届くわけがないからである。

 そして私が小学校の頃、住んでいたあたりは確か住吉区墨江中という町名であったが、それもその後、町名が変更になっているはずだが、その町名すら私は知らない。

 おそらく人も町も随分と変わり果てたことだろう、私はもう何十年も生まれ育った町に戻ったことがない。

 ならば久しぶり戻って、魂に拘泥せず、確信犯的に甘美な郷愁に浸り、そこらのスナックとかに入りごみ、「実はぼかあ、このあたりの生まれなんだよ。いまは東京でIT社長だけどね」とか言って、泣き濡れてご婦人と戯れようか。

 というのも無理な相談なのは、行こうと思えば新幹線代がよく知らないが一万二千円かそれくらいかかる。そこから地下鉄に乗り、私鉄に乗ってそれが、いまどれくらいするのか知らないが、まあ五百円はかかるだろう。育ったあたりをぶらぶら見て回って郷愁に浸るのはただだが、スナックでの飲食代金が、私はスナックに行ったことが考えてみたらないのでよくわからないが八千円くらいはするのではないだろうか。

 この時点で既に二万五百円。それからご婦人と戯れるにしろ戯れないにしろ、その日は泊まるだろうからホテル代というものがかかる。できれば清潔で快適でサービスも行き届き、内外装も洒落たところに泊まりたいが、上を見ればきりがないのでまあ、一万五千円くらいのところで手を打ったとして三万五千五百円。そこまではタクシーで行くだろうから三万八千五百円。

 翌日は朝飯を食って四万円。ご婦人の分も払えば四万二千五百円。それから行った以上は帰らなくてはならないので、また一万二千円がかかって、五万四千五百円。駅で赤福餅を買えば五万五千三百円。買わなくても車中で弁当を買えばやはりそれくらいかかり、つまり、総額で五万六千円がとこ、かかるということになる。

 五万六千円を稼ごうと思ったら少なくとも私の場合だと、三、四日は働かなくてはならない。その五万六千円をたかだか郷愁に浸るために遣うのかと思うと私は非常に嫌な気持ちになる。吐き気すらしてくる。それだったら、三、四日なにもしないでボンヤリしていたい、と思う。

 なので私は育ったあたりに行けないし、おそらく死ぬまで行くことはないだろう。

 と、思うとそれはそれで非常に寂しい気持ちになる。

 いったいあのあたりはいまどんな風になっているのだろうか。

 そんな思いがこみ上げてくる。

 それで、そんなことをしても意味はないと知りながら、コンピュータの地図で、いまの町名がわからないので、一段上の住吉区という地名を検索してみた。

 したところ、地図が出てきたのだが私が暮らしたあたりではないので、これを指でツイツイずらしたり、グイグイ拡大するなどするうちに、いきなり公園の写真が出てきて、私は、「こ、これは……」と思わず声に出していった。

 見覚えのある遊具。施設。植栽。そう、それは私が子どもの頃、友人たちと毎日のように遊んだ公園であった。私はその公園と道路を隔てて隣り合った公営住宅、いわゆるところの団地、に住んでいたのである。

 その公園に行かぬ日はまずなかった。一週間前のこと、いや、一日前のことすら忘れているのに、四十年も前の日々のいろんなことが映像付きで頭の中に蘇った。

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