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連載
町田 康の「続・関東戎夷焼煮袋」第18回

土手焼――土手焼の失敗に魂そのものの脆弱という絶望を知るのだった

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――上京して数十年、すっかり大坂人としての魂から乖離してしまった町田康が、大坂のソウルフードと向き合い、魂の回復を図る!

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photo Machida Ko

 前の戦の後、あまり言わなくなったが、その前は大和魂ということが随分と言われたらしい。それは日本人だったらだれでも持っている魂で、大体のことは大和魂で乗り切れる、と信じられていた。それほどに大和魂というものは尊いものと思われていた。

 けれども戦争に負けたのは大和魂だけでは乗り越えられない部分があったからで、大和魂というものはいざというとき、あまり役に立たなかった。

 文豪・夏目漱石は、『吾輩は猫である』という小説に、「三角なものが大和魂か。四角のものが大和魂か。大和魂は名前の示すごとく魂である。魂であるから常にふらふらしている」「誰も口にせぬ者はないが、誰も見たものはない。誰も聞いた事はあるが、誰も遇った者がない。大和魂はそれ天狗の類か」と、書いている。

 それは大和魂に限らず、魂などというものは、大抵がそんなもので、各人の都合のよいようにでっち上げられたものに違いなかろう。音楽ライターが混乱した文意をまとめるため、「とにかく彼らのロックスピリットはホンモノだった」などと書く。各種スポーツを中継放送するアナウンサーが、サムライスピリットなどと絶叫する。職人魂。報道魂。企業魂。学者魂。ラーメン魂、役者魂。商人魂、スキューバダイビング魂、サーファー魂、うどん屋魂、芸人魂、貧民魂、保険屋魂、偏屈魂、デリヘル魂、牛丼魂、左翼魂、ボンジョビ魂、メンヘラ魂、派遣魂、IT魂、出歯亀魂、シャブ中魂、詐欺師魂、魂はどんなものにも付着して、そのものの存在しない実質として、そのものの外側を飾り立てる、実に便利なシロモノである。一時、なんやらの品格、という題の本がむやみに出たことがあったが、この品格というのは魂の亜流であろう。所詮、魂というのはそんな程度のものだよ。

 という話を、大坂には一度も行ったことがない、したがって大坂の土手焼を一度も食べたことがない折鴨ちゃんの作った、というか正確に言うならば、私の失敗したものを煮直した、供しかたこそ違ってはいるが、見た目も味も、完全完璧に大坂のオリジナル品と同一の、それはそれはおいしい、土手焼を食べ、そこそこおいしいお酒を飲みながら、折鴨ちゃんはした。

 私は蓋しその通りだ、と思いながらゲラゲラ笑って聞いていた。

 そして私は内心で、だから。と思っていた。

 だから、本来の魂、自分の本然の魂、なんてなのはねぇ、言葉として最初からおかしいんだよ、矛盾してるんだよ。と思っていたのである。

 だいたいが、その本来の自分というのがそもそも怪しい存在で、その怪しい存在の、存在しないが故に、その本質であると言いはれる本質、みたいなもの、すなわち魂、なんて二重にあり得ない。

 そんなものを追い求めてなにになるというのだ。なににもならない。私にはそれがわかった。そしてそれは折鴨ちゃんのお蔭、だと私は思ってついにはゲラゲラ笑っていた。

 ゲラゲラ笑い、何度も何度も前後の脈絡なく、「折鴨ちゃん、ありがとう。ありがとう」と、繰り返し言い、折鴨ちゃんもゲラゲラ笑って、「いいってことよ」と、その都度、言ってくれた。

 そして、折鴨ちゃんが帰っていった次の日、つまりいま現在も、そのゲラゲラ笑う感じは続いている。が、寝床の上でゲラゲラ笑わず、むしろ渋面を作っているのは、激烈な宿酔の状態であるからである。

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