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宇野常寛の批評のブルーオーシャン 第48回

『笑っていいとも』はつまらなかった

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──既得権益がはびこり、レッドオーシャンが広がる批評界よ、さようなら!ジェノサイズの後にひらける、新世界がここにある!

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『別冊サイゾー「いいとも!論」』

 3月31日、フジテレビの看板番組であり、昼のバラエティの定番『笑っていいとも!』が32年間の歴史に幕を閉じた。個人的には同番組を面白いと思ったことは一度もない。しかしこの番組の終了は何か、この国の文化空間の変質を象徴してはいるのだと思う。

 僕がこの番組をつまらないと考えていた理由は、テレビをダラ観する習慣がまったくないために、『いいとも』の「友達の輪」という内輪のキャラクターいじりを見せつけられても、文脈(○○さんは~~というキャラだから××をいじると面白い)がわからず、まるで隣のクラスの内輪受けで笑うことを強要されているかのような気分にしかならないからだ。テレビの訴求力が最も高かった戦後のある時期(80~90年代)はテレビ=世間であり、その文脈を共有していない(空気を読めない)人間は決定的にマイノリティだった。しかし消費社会の進行は人々の価値を多様化させ、情報社会化は環境的にそれを後押しした。その結果、テレビは今でも巨大な訴求力を持つマスメディアであることは疑いようがないが、かつてのようにテレビ=世間であるかのような振る舞いは許されなくなっている。より正確には、僕のようにテレビ=世間だと考えない人間が増えてきていて、そうした人間には、新宿アルタのスタジオで「テレビの人気者たち」が「友達の輪」を広げても、公共の電波でせいぜい数百人の東京のタレントサークルが身内ネタで盛り上がっているようにしか見えないのだ。インターネットの一部では、「テレビっぽい」という言葉が「サムい」という言葉と同義で使われている。

 この現実を否定したいと思っているのは、一部の業界人とそこに憧れているワナビ―だけだろう。

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