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第1特集
ゲームの土壌から花開いたサブカルチャー

YMOからAKBまで…日本的ゲームの土壌から花開いたサブカルチャーの系譜をたどる

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――我々が何の気なしに触れてきたゲームに、マンガ、アニメ、映画、音楽といったサブカルチャーの諸ジャンル。実はそれらは、ゲームの勃興期たる80年代から連綿と互いに影響を与え合い続けてきたのである。ここでは、ゲームというメディアが日本のサブカルチャーに残した功績をたどってみたい。

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多根清史『教養としてのゲーム史 』(ちくま新書)

 現在の日本のポップカルチャーシーンにおいて、ゲームは最後発のメディアに当たる。具体的には、1970年代にアーケードビデオゲームが登場し、78年の『スペースインベーダー』の爆発的なブームを経て社会化し、急激に表現を高度化させていった分野だ。最後発ゆえに、それ以前に存在していた他のカルチャージャンルの題材趣向や演出技法を、見よう見まねで無節操に取り込まざるを得ない。そうして取り込まれた複数のジャンルの表現が、ゲームジャンルの内部でシャッフリングされてクロスオーバーが起き、そこでの変質が逆に先行ジャンル側のキーパーソンなどを通じて諸ジャンルに持ち帰られる。この30数年間のカルチャー史の流れの中には、そのようなモーメントがあった。その意味で、ゲームは先行コンテンツ文化全般に、テクノロジーの進歩がもたらす予想外の変化を注ぎ込む、進化の震源地となってきた分野だったといえるだろう。

 本稿では、ゲームの誕生以来、影響を与え合ってきた他ジャンルでの成果を見ていきたい。

音楽──電子音が触発したムーブメント

 数あるカルチャー表現の中で、最初にゲームからの本格的なフィードバックを受けたジャンルが「音楽」である。その最も大きなチャンネルとなったのが、クラフトワークなどのドイツテクノと並行して、テクノポップという日本独自の音楽ジャンルを作り上げたYMOだ。彼らの1stアルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』(79年)は、1曲目は『サーカス』(77年)、5曲目に『インベーダー』と、のっけから当時ゲームセンターで稼働していたビデオゲームの音源を利用しているのである。日本が初めて世界に発信した電子音楽のムーブメントが、まさにゲームの音から始まっていたという事実は注目に値しよう。

 その延長線上にYMOのメンバーだった細野晴臣がプロデュースしたのが、『ゼビウス』(83年)などナムコの人気タイトルのBGMを収録した初のゲーム音楽アルバム『ビデオ・ゲーム・ミュージック』(84年)だ。『ゼビウス』の世界観はアニメ『伝説巨神イデオン』など、現在でいうオタク文化に類する分野の影響で作られているが、細野のようなニューウェーブ的な音楽はいわゆる新人類/サブカル的な感性の走りだ。さらにライナーノーツにはニューアカデミズムの旗手であった人類学者・中沢新一が寄稿しており、いかにゲームが80年代前半のカルチャー状況を複合的に刺激していたかがわかる。

 80年代後半にゲームのメインストリームが据え置きのテレビゲーム機に移り、RPGの勃興期になると、すぎやまこういちが音楽を担当した『ドラゴンクエスト』シリーズ(86年~)ではゲーム音源のみならず、そのイメージを膨らませてオーケストラ編成にしたアレンジ版が発売されるようになる。さらに『ファイナルファンタジー』シリーズ(87年〜)などでは、北欧系のワールドミュージックやプログレッシブロックなど、比較的マイナーなジャンルの音楽が普及度を上げる回路としても機能していく。そうして生まれた和製ファンタジー系のゲーム音楽は多くのフォロワーを生み、その影響下に「物語音楽」を掲げるSound Horizonのような同人音楽出身のアーティストも登場している。

 そしてサークル「上海アリス幻樂団」製作の同人シューティングゲームシリーズである「東方Project」の楽曲は、DTMシーンにさらなるn次創作のムーブメントを生み、00年代の同人音楽界を牽引した。ニコニコ動画を主舞台としたこの流れは、現在の日本の音楽シーンの一角を占めるボーカロイド文化とも直結している。

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