──既得権益がはびこり、レッドオーシャンが広がる批評界よ、さようなら!ジェノサイズの後にひらける、新世界がここにある!
『日本文化の論点』(筑摩書房)
先日、高校の同窓会に出かけてきた。15歳で出会った僕らも35歳、堂々たる中年だ。自然と集まった当時親しかったグループのテーブルで、今は某商社に勤めるMと話し込んだ。Mは言う。
「宇野がやってることは確かに面白い。しかし、お前の所属してる業界自体が俺たちのほうに向いてない。30代とか20代の働いてる人間に向いてない。だから結局、お前たちがやってることは、メインの読者が暇な学生か、難しいことを考えて社会問題とか文化について偉そうなことをツイッターで言うのを生き甲斐にしてる一部のおじさんたちに向けられていて、普通に働いてる人にはあんまり届いてないんじゃないか?」
その通りだな、と思った。
もちろん僕だって、この状況がいいなんて思っていない。少しでも抗うために、もう8年も自分で雑誌を主宰しているし、今後も新しい出版ビジネスや動画配信の形態を模索していくつもりだ。
しかし一方でこの15年余りの出版業界に、「サラリーマンなんてどうせ、ビジネス書という名の自己啓発本しか読まないのだ」という後ろ向きの割り切りがあったことは間違いない。
例えば、最近レゴにハマっている僕は、某ビジネス誌のレゴ特集を読みたくて久しぶりに購入した。しかし何度それを読んでも、同社が何年か前に一度経営危機に陥り、そしてその後社内改革に成功し、復活を果たした、ということしかわからないのだ。要するに社内フローと売り上げの推移の話しか、そこには載っていない。だがここで重要なのは(そして僕が読みたかったのは)、その「社内改革」の前後で商品のクリエイティブがどう変わったか、「レゴの商品の内容が、この10年でどう変わったのか」ということなのだ。そして、こうした変化を記述できるのは経済の言葉ではなく、文化の言葉しかない。