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神保哲生×宮台真司「マル激 TALK ON DEMAND」 第85回

希望なき日本社会に求められる「正しさ」

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 2013年は、安倍政権下の報道や特定秘密保護法の強行採決など、従来では考えられない事態が起こったことで、日本は底が抜けたような状態に陥ってしまった。哲学者の東浩紀氏は、そんな13年を“1993年に始まった長い改革への時代が挫折して終わった年”と総括する。本議論では、現在の日本社会が孕む問題を詳らかにしていく。

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『福島第一原発観光地化計画 思想地図β vol.4-2』(ゲンロン)

[今月のゲスト]
東 浩紀[哲学者]

神保 今回が2014年最初のマル激です。ゲストは、哲学者で思想家の東浩紀さん。東さんは3・11の福島第一原発事故以降、同じく原発事故のあったチェルノブイリを取材して、『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』や、福島の『福島第一原発観光地化計画』などの本を出され、被災地を忘れないためのユニークな提言をされています。

宮台 東さんがこういう方向で議論をされるというのは、意外な展開でした。現状批判的であると同時に、未来思考的です。

神保 宮台さんは「意外だった」ということですが、ご自身ではどうですか?

 今から10年前に「将来こんなことをやっているよ」と言ったら驚くと思います。ただ、震災以前から、社会が変わり、言論人の役割が小さくなっていく中で、「仕方がないから、自分でやらなきゃいけない」と追い詰められていく感覚はありました。3・11以降大きく変化したように見えるかもしれませんが、この観光地化計画は、“福島”という言葉のイメージをどう考えるか、将来的にどうしていくかということがテーマなので、僕の専門分野の哲学や文学とも重なっている。

 物理的に空間放射線量を抑えるとか、金をばらまいて地域経済を一時的に活性化させることはできると思う。しかし、福島という土地のイメージがよくならないことには、人も戻ってこないし、本当の復興も不可能。物理的・経済的な復興しか議論されない中で、別の観点からのアプローチで復興を考えたかった。

宮台 東さんの議論が興味深いのは、「政府は何をやっているんだ」という巷によくある批判とは違い、復興に向けて市場のメカニズム、インセンティブを効果的に使っていこうと提起していることです。つまり「損得勘定」をうまく利用する。人は福島を忘れたら損をするのであれば忘れられないし、逆に覚えていることが得だったら覚えている。日本では嫌われやすく、成り立ちにくい議論ですが、この計画・デザインは本当に素晴らしいと思います。

「原発問題が風化するわけがない」という人もいますが、現実として福島に対する関心は急速に失われてきています。わかりやすい例を挙げると、昨年の参院選で福島を問題にしたのは山本太郎氏だけだった。しかも彼は福島に対してかなり間違った情報をばらまいている。福島について語るのはデマゴーグだけで、“まとも”な人はもう福島について語らない。語ると面倒なことになるから。今年は震災3周年。みそぎも終わって、ますます風化が進むと思います。

神保 各社が一斉に3周年企画をバーッとやって、それっきりになりそうですね。

 ところが現実には、廃炉に向けて、今後も10兆円、20兆円という金がつぎ込まれていく。今後の日本にとって極めて大きい規模の国家プロジェクトなのに、人々は関心を失っていく――それをどうするか。「福島について考えなければいけない」と「べき論」で語っても意味がないのだとすれば、「福島について考えるのがカッコいいらしい」「儲かるらしい」と雰囲気を変えていかなければならない。そういう状況をどう作るか、が僕の課題です。

宮台 僕の戦略も似ています。昨年末に上梓した『「絶望の時代」の希望の恋愛学』を含めた〈男女素敵化計画〉のテーマが、「自発性=損得勘定」から「内発性=損得勘定を超えて内から湧き上がる力(徳=virtue)」へです。昨今は内発性を持つ者がいないので、〈自発性から内発性を生み出す〉ワークショップを行うのです。そこでは「内発性を持ったほうが得、なぜなら、システムを頼れない災害時などには絆を持つ者だけが生き延びられるが、絆は内発性なくしては生まれない」といった具合に伝えて、動機づけるわけです。

改革への時代が挫折して終わった空転した2013年の日本社会

神保 さて、日本の政治に目をやると、まず201 3年の前半はアベノミクス一色で、夏の参院選の後に突如として特定秘密保護法などが出てきて、年末の安倍首相の靖国参拝で締めくくった一年でした。新年一回目ということで、まずは13年を総括してみてください。

 13年は1993年に始まった長い改革への時代が挫折して終わった年。「もう日本では改革は無理なんだ、いやむしろ改革しなくていいんだ」と国民が開き直ってしまった年だと思います。そこで現れてきたのは、安定与党と、それに対して批判しかしない無力な野党。そしてツッコミだけ入れているマスメディアという状況。3・11で見えてきたさまざまな問題も、民主党を追放して「みそぎが終わった」ということになって国民は忘れてしまった。冷戦時代の自民党一党支配に戻ったというか、イデオロギー的な意味ではなく、言葉の本来の意味で「保守」に回帰した年だと思います。とにかく、もう改革はうんざりだ、昭和に戻ればいいんだと、後ろ向きの感情が支配している。

宮台 一言では「貧すれば鈍する」。冷戦体制終焉後のグローバル化が何をもたらすのかが世界規模で自明化しました。賃上げ要求や増税要求があれば本社や工場を移転すればいいので格差化&貧困化を放置する〈社会がどうあれ経済は回る〉状態になり、それによる不安化と鬱屈化を背景にした〈感情のフック〉によってポピュリズムを駆動すれば再配分などの手当てをスルーできる〈社会がどうあれ政治は回る〉状態になる。面白いのはそれが大衆規模で自覚されていること。それでもどうにもならず、感情が釣られる。大澤真幸氏の言う「アイロニカルな没入」です。保守回帰はこうした〈感情の劣化〉の一環で、「この社会はもうダメだが、今ある権益にぶらさがって行けるところまで行くしかない」というニヒリズムです。民主党政権への失望が引き金を引きました。いっとき夢を抱いたこともあったが、幻だったねと。

 そうですね。結局、第三極の政党は消滅してしまった。もう一度政権を獲れるような野党が出てくるには10~15年の時間が必要になる。冷戦体制崩壊後、それぞれの国がグローバル社会の中で新しく生まれ変わろうとしてきたのだけれど、日本は結局、生まれ変わることができなかった。

神保 確かに13年は、日本の底が抜けちゃったようなとこはありますね。本来はあってはならなかったはずのことが次々と起きてしまって、「それアリなの?」みたいなことが多かった。秘密保護法案の強行採決だって、あんな出来損ないの法案を無理やり通すようなことをすれば、これまでの常識では政権が倒れてもおかしくないのに、支持率が少し下がった程度で大したことは起きなかった。

 メディアについても、安倍政権が自分に擦り寄ってくるメディアを優遇するようなことを許してしまっている。これまた、これまでは禁じ手だったことが平気で行われるようになったために、メディア報道までおかしくなっている。さらに付け加えれば、日本の生活保護はもともと世界で最ももらいにくい制度なのに、その日本で、さらにそのハードルを上げる法案が可決してしまったりしている。しかも、一度は卒業したと思っていた公共事業に依存した土建国家の道も、震災を口実に国土強靭化基本法などが作られ、また以前の土建国家路線に戻ってしまった。

 安倍政権ができるまでは「さすがに誰もこれはやらないだろう」と思われていたことが、次々と実現しています。これは09年の政権交代以降、日本の政治や社会のルールが変わってしまったようにも見えるのですが、どうでしょうか?

 僕はそう思ってます。「安倍ではダメだ」とマスコミも言っているし、国民もそう思っているけれど、ほかに誰がいるかというと誰もいない。マスコミもそれをわかっていてポーズとして「安倍降ろし」をやっているのだろうし、全体的に無力感が漂っている。

宮台 そう。特定秘密保護法も日本版NSCも、安倍総理の命令で行政官僚が法案化したもので、その際に「その他」の文言に代表される霞が関文学による権益拡張への企図が盛り込まれているものの、ハンナ・アーレントがアイヒマン(600万人のユダヤ人をガス室送りにしたとしてイスラエルに捕えられ裁判にかけられた)に見出した「悪の凡庸さ」問題です。つまり批判的な連中の大半が、仮に自らが内閣情報調査室や警察庁の官僚だったら同じように振る舞うはず。そして、安倍総理はといえば、教養のなさや独りよがりが有名だけどアベノミクスで支持率が高いうちに分裂した印象を与えたくないから周囲も黙っているだけの〈巨大な空洞〉問題です。だから“アベちゃん問題”をパラフレーズすれば、“ヒトラーなきアイヒマン問題”であり“〈巨大な空洞〉問題”です。安倍批判じゃどうにもなりません。

神保 とは言え、それでも日本の社会は他国から見ればまだ“回っている”ほうだと思います。本当に財政が危なくなれば生活保護の支給自体が止まる可能性だってあるのに、捕捉率が2割とはいえ、日本ではまだ一応は支給されている。とりあえず回っているから、国民の側に根本的な変革や痛みを伴う変革を受け入れる用意ができていないようにも見えます。もしそうだとすると、今の日本はどんなリスクを抱えながら進んでいるということになるでしょうか?

 日本経済が大々的に復活すれば力業でなんとかなると思いますが、その道を歩んでいない――というか、少なくとも成否がわからないことが問題です。このまま14年にアベノミクスが弾けて、カネの回りが悪くなり、安倍政権のばらまきが続けば、財政破綻への道をまっしぐらですね。

神保 いずれそう遠くない将来、国債が国内だけでは捌けなくなり、海外の投資家はよりシビアですから、国債がそう簡単に消化できなくなる。その結果、長期金利が暴騰して国債が暴落する。そうなると、もう国家の財政も破綻するし、経済も大変なことになるでしょう。このままではそれが時間の問題であることはわかっていても、実際にそのような形で日本が市場から見放されるまでは、ダラダラと今の凋落を続けていくのでしょうか?

宮台 日本で経済的将来予測を一番真剣に行うのは投資家あるいは金融機関です。そういう方々が「もう無理だな」と判断したら国債と通貨を売り浴びせにかかります。ジョージ・ソロスも日本が長期的には「売り」しかなく、いつ「売る」かの問題だとしています。そうなれば国債と通貨が暴落して、日本人の多くが市場&行政という巨大システムに依存できなくなる。僕が『希望の恋愛学』に絡む一連のプロジェクトをやるのは、それが見通せるからです。巨大システムに依存できない時代が来たときのためにどう備えるか。お金を貯める、つまり外国預金の選択肢もありえますが、預金の余裕がない人は「持つべきものは友達」しかありません。この場合「友達」とは損得勘定抜きで助けてくれる者の謂いです。

神保 つまり、ドゥームズデー(最後の審判の日)は不可避であることを受け入れた上で、それにどう備えるかを考えなければならない段階に来ているということですか?

 民主党政権は、手段にいろいろ問題があるとはいえ、とりあえず変えようとは努力していた。それが国民からノーを突きつけられた以上、一人ひとりお金を貯めるなどして備えよう、ということでしかないのかもしれません。そういえば一時期、政治家がツイッターなどのソーシャルメディアで国民に直接に呼びかけ、いよいよ政治が変わる、これからはネット選挙だなんていう明るい話もありましたが、これも今はまったく話題にならない。希望の光がことごとく消え、先が見えてこない。

宮台 ネットは参加を容易にするがゆえに、米国の「ブッシュJr.を当選させた南部・高卒・白人」問題が象徴する〈感情の劣化〉問題が民主政治を直撃します。だからギデンズが「感情の民主化」を語り、ローティが「感情の教育」を語り、サイバー・カスケイド問題で有名になったサンスティーンが「二階の卓越主義」【編注:民主的な熟議の制度設計において、専門知を有したエリート(卓越者)の働きを重視すること】を語る。東さんが心得るように、ネットの集合知も、それをアグリゲートし、参照する「二階の卓越者」抜きには機能しない。すべては〈感情の劣化〉問題です。“アベちゃん問題”も〈感情の劣化〉問題の側面があります。性愛に例えると、安倍晋三は愛情を履き違えた〈粘着厨〉の類です。頭山満のごとき真の右翼なら、自国に愛国者がいれば相手国にも愛国者がおり、自分が憤る事柄と等価な事柄で相手も憤り、自分が宥和する事柄と等価な事柄で相手も宥和することを弁えるから、諸般を手打ちできます。

 ところが安倍総理の類は相手国を鬼畜呼ばわりするだけの出来の悪い水戸学派。自分の感情を表出するだけなので関係を壊し、手打ちによる落とし所を失います。もうそうなっていて、戦争でアベノミクスの成果が灰燼に帰するかもしれません。自分の感情を表出するだけの〈粘着厨〉が、ストーカー行為を通じて恋愛を実らせる可能性は0%。なのにストーカーを続ける。よく似ています。

 問題は、こういう指摘がもっともらしければもっともらしいほど、エリート主義のパターナリズムとして聞こえることです。だから「エリートでない俺はそっちの船に乗れねえよ」となって、「〈粘着厨〉の気持ちをわかってくれるのは〈粘着厨〉の“アベちゃん”だけ!」となり、「アイロニカルな没入」が現象してしまうのです。でも、だからこそ、〈感情の劣化〉につけこんだポピュリズムが横行し、非合理な政治的決定をもたらしがちになります。それが全体の構図です。

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