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町田 康の「続・関東戎夷焼煮袋」第12回

私が死ぬるためと生きるために作るのは、あの大坂の味

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――上京して数十年、すっかり大坂人としての魂から乖離してしまった町田康が、大坂のソウルフードと向き合い、魂の回復を図る!

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photo Machida Ko

 先日。伊豆半島の突端近くの、下田、というところに行ってきた。と言うと、下田というのは、安政三年七月二十二日、アメリカ総領事、タウンゼント・ハリスがアメリカ大統領の国書を携えて上陸した場所として有名であるが、そんなところになにをしに行ったのか。遠いのに。バカじゃないのか。と訝る人も多いだろうから、いちおう闡明(せんめい)しておく。

 私は下田にサーフィンをしにいった。

といって、大方の人は、ふーん。程度にしか思わぬだろうが、私にとってこれは大事件であった。

 なんとなれば、これまで私はサーフィンと無縁の生活を送っていたからで……、というか、以前にも申したとおり、私はかつてパンクロッカーの群れに身を投じていた者であるが、実はそもそもパンク者とサーファーというのは不倶戴天の敵であったからである。

 といって、サーファーがパンクを憎むということはあまりなく、専らパンクがサーファーを憎んでいた。

 なぜ憎んでいたか。一言で言うと嫉妬である。

 自分たちは日の当たらぬところでぎゅうぎゅうになって苦しい思いで不平不満を喚き散らして女にも持てない。しかるに、なんだ。あいつらは。日の当たるところで楽しそうなことをやって女にも持てている。とんでもないことだ。こんな不公平が許されるわけがない。

 と考えていたのである。だったら自分も群れを脱出してサーファーになったらよさそうなものであるが、日頃、激しく批判していたのに突然に掌を返して、サーファーになるのは自分自身を欺くようで嫌だったし、決まりも悪かったのでなれなかった。というか、現実的に不可能だった。というのはパンクに必要な楽器すら満足なものが買えぬ私たちにとって高価な波乗り板を買うなど、夢のまた夢であったからである。

 そんなことでサーフィンをしないまま五十の坂を越えた。

 その私が急にサーフィンをしようと思ったのは如何なる訳か。勿論、自分の本来の魂を恢復することに失敗したからである。

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