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神保哲生×宮台真司「マル激 TALK ON DEMAND」 第81回

アメリカの裏面史に見る原爆投下の本当の意味

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ビデオジャーナリストと社会学者が紡ぐ、ネットの新境地

──今年8月、映画監督のオリバー・ストーン氏が来日。広島、長崎の平和祈念式典に参列した後、沖縄にて講演や記者会見を行っていたことが広く報じられた。歴史ドキュメンタリー『もうひとつのアメリカ史』を制作したストーン氏は、「原爆はソ連南下阻止のために投下された」と主張する。その背景を、ジャーナリストの春名幹男氏に聞いた。

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『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史 1』(早川書房)

[今月のゲスト]
春名幹男[ジャーナリスト]

神保 8月にオリバー・ストーン監督が来日しました。彼はアメリカの原爆投下をめぐる「嘘」を厳しく批判するドキュメンタリーシリーズ『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史』を発表し、8月6日に広島、そして9日には長崎の平和祈念式典にそれぞれ参列しています。

宮台 彼は映画監督というより“社会批評の映像化”をしている人だと考えたほうがいいでしょう。これまでにもベトナム戦争やウォール・ストリートの問題など多様な題材を扱っていますが、中でも今回のドキュメンタリーシリーズは、アメリカという国の虚像と実像を突きつけてくる入魂の作品だと言えます。

神保 オリバー・ストーン監督自身、外国特派員協会での講演で「オバマ政権は“第二次ブッシュ政権”になっている。鑑賞用の映画を作っている場合ではない」と考え、私費を投じてドキュメンタリーを制作したと話しています。しかし、本作を放送してくれたのはケーブルテレビ局一局だけで、アメリカの地上波で放送してくれる局はなかったということでした。これは本作が、アメリカの原爆投下が実は必要のないもので、「日本の降伏を促すためではなく、旧ソビエトの南下を防ぐため」のものだったという、現在のメインストリームのアメリカでは受け入れられない歴史観に基づいているからだと考えられています。

 そのドキュメンタリーの中でオリバー・ストーンは「1944年の民主党大会を分水嶺にして歴史の流れが変わり、原爆投下につながった」と語ります。この大会では後に大統領となるトルーマンが民主党の副大統領候補に選ばれましたが、それは有力候補だったヘンリー・ウォレスが政治的工作により失脚した結果だった。その政治工作の功労者で、トルーマン政権で国務長官を務めたバーンズら保守派が、トルーマン政権を事実上支配し、「空洞」と言われたトルーマンが原爆を投下をするようし向けた、というのが『もうひとつのアメリカ史』で描かれた歴史観です。

 今回はアメリカの政治史に詳しい、ジャーナリストで元共同通信の春名幹男さんをゲストに迎えて議論したいと思います。共同通信でワシントン支局長や論説副委員長などを歴任されてきた春名さんは98年、共同通信が配信した「外交の死角」という記事で、アイオワ州立図書館で入手したウォレスの日記に、原爆投下に関する閣議の模様が書かれていたと明らかにしています。早速ですが、この内容についてご説明ください。

春名 確かに原爆投下の命令を下したのは、ルーズベルト大統領の死によって大統領となったトルーマンでしたが、彼は「広島だけでなく、長崎にも原爆を落とした」ということを事後報告で知ることになりました。ウォレスの日記によれば、トルーマンは自分の命令によって多くの人を殺してしまったことにふさぎ込んでしまった。閣議で彼は、「もう3発目は落とさない」「子どもをたくさん殺すようなことはやめよう」「頭が痛い」などと発言していますが、このことは公式の記録には記述されていない。つまり「米大統領が原爆投下を命じてしまったことに心を痛め、ふさぎ込んでしまった」ことは、アメリカの歴史に残せなかったのです。

神保 原爆投下における当時のバーンズ国務長官の役割についてはどうでしょうか?

春名 バーンズとトルーマンは、上院議員時代から仲が良かったそうです。そして、外交に関して素人だったトルーマンは、突然大統領になったためバーンズに頼ることになった。「ソ連の南下を阻止するために、早く原爆を使わなければいけない」というバーンズの意を取り入れた決定だったと考えられ、彼が果たした役割は非常に大きいものと言えます。

神保 バーンズ自身は強い保守派であり、反共論者であったようです。また、大統領になるまでトルーマンは原爆の存在すら知らず、一方バーンズは議会上院の外交委員長として、原爆開発の進捗状況についても詳しく知らされていたとも言われています。トルーマンが原爆の恐ろしさを十分に認識しないまま、バーンズらに促されるままに投下命令を出した可能性はありますか?

春名 大統領になった4月12日以降、4月の下旬に、原爆についてかなり綿密な説明を受けていることは事実です。しかし、どこまで理解していたかはわかりません。

神保 ドキュメンタリーの中で、1944年、シカゴの民主党大会の様子が詳しく描かれていました。副大統領候補は、最終的には大統領が指名するものの、党大会で副大統領候補についても党員による投票が行われていました。当初は現職の副大統領でソ連に融和的だったウォレスの支持が圧倒的だったようですが、彼の副大統領就任を阻止したい保守派が場内を混乱させるような手法で議事を妨げるなどして、ウォレスの勝利が確実視されていた投票を遅らせることに成功した。そして、翌日に持ち越しとなった投票の際に、ウォレス支持者が多い黒人などの少数派を議場から排除するなどして採決をした結果、無名の上院議員に過ぎなかったトルーマンが副大統領候補に選ばれてしまった。その後、既に重病だったルーズベルト大統領が程なく死亡したため、トルーマンが大統領に就任し、問題の8月を迎えることになる。オリバー・ストーンは、このように描いています。彼は1944年の民主党大会が「歴史の分岐点になった」と見ていますが、春名さんはどうお考えですか?

春名 確かに「大統領がウォレスであったら、原爆を使っただろうか」という疑問はあります。オリバー・ストーンの説は、歴史学者のガー・アルペロヴィッツが著した『The Decision To Use The Atomic Bomb』という本に依拠しており、その内容は「アメリカがソ連の南下を防ぎ、日本を独占支配するために原爆を投下した」というものです。

 そして、私がご紹介したいもうひとつの説は、スタンレー・ゴールドバーグという学者の死後、その調査データを友人のロバート・ノリスがまとめた『Racing For The Bomb』に書かれているもの。原爆開発を推進するマンハッタン計画は、極秘ながら莫大な予算を投じて進められた計画だった。そのため、責任者であるレズリー・グローブス少将が「このまま原爆を使わずに戦争が終われば、大変なことになってしまう」と保身を考えた││つまり、国内政治的な要因が非常に大きかったという見方です。

 マンハッタン計画が戦後どうなったかといえば、そのまま「軍産複合体」【編注:私企業を含む軍需産業や軍隊、国防総省や議会などの政府機関によって形成される連合体を指す】として巨大な成長を遂げており、この説にも説得力があります。グローブスにとっては、「現場を急がせて、なんとか日本が降伏する前に原爆を2発落とさなければ」という時間との競争だった。『もうひとつのアメリカ史』では、この2つの説を併せて考えたいですね。

神保 しかしアメリカでは、「原爆は大勢のアメリカ兵の命を救い、戦争を終結させるために投下された」という説が広く信じられています。このことについて、オリバー・ストーンは特派員協会での講演で、次のように語っています。


ストーン 原爆投下には現在の米国が抱える問題のすべてが表れている。嘘、否定、検問などの問題だ。戦争終結には原爆投下が必要だったという説がいまだに広く信じられている。「狂信的な日本人は、最後まで沖縄や硫黄島の時のように挑んでくるだろう。だから原爆が数十万人の米国人の命を救った」と。

 それがすべて嘘であるということを、私はこの作品で明らかにしています。米国は日本を完全に掌握することで、ソ連を極東支配から外す一方で、米国は原爆の真実を隠して共産主義との戦いに日本を利用することが可能になった。


神保 このオリバー・ストーンの発言については、いかがですか?

春名 確かに、完全に日本を占領し「反共の砦」にするという意味で、原爆そのものが冷戦に果たした役割は大きかったでしょう。やはり、バーンズはそれを見通していたと考えられます。

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