――キャンディーズの名曲「春一番」や「年下の男の子」、郷ひろみの「林檎殺人事件」などの作曲家、穂口雄右氏。彼は2012年3月まで、日本の著作権管理団体・JASRACにて評議員を務めていた。しかし、40数年以上在籍したJASRACを離れ、自ら楽曲の著作権管理を行う理由はなんだったのか──。
『JASRAC概論』(日本評論社)
キャンディーズの名曲「春一番」や「年下の男の子」などを手がけた作曲家・穂口雄右氏が代表取締役を務めるミュージックゲート社を被告とする裁判が、2011年8月より東京地裁で行われていることをご存知だろうか。この裁判は、ソニー・ミュージックレコーズをはじめ、日本コロムビアやキングレコードなど、大手レコード会社31社が著作権違反を理由に、同氏が経営するミュージックゲート社に対し、2億3000万円もの支払いを求めたものだ。ことの発端は、YouTube上にある動画の音楽がスマートフォンなどで視聴できるようにファイル変換を行う、「TubeFire」というサービスを同社が提供していたことにある。しかし注目すべきは、穂口氏が40数年以上にわたり、日本の著作権管理団体、 一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)の正会員及び評議員を務めており、著作権法には非常に詳しい点だ。12年3月31日をもってJASRACを退会し、いまだ裁判でも戦い続ける同氏に、現在の日本の音楽著作権の問題について、話を聞いた。
──いきなり脱線してしまい恐縮ですが、穂口さんはジャニーズ事務所の出身だそうですね!
穂口 ああ、懐かしい話ですね(笑)。実は、高校生の頃に友人がジャニーズのバックバンドをやっていましてね。日本劇場で公演をやるというので、見に行ったんです。ステージの裏に置いてあったグランドピアノが珍しくて弾いていたら、後ろからおじさんに声をかけられて。「You、オルガン弾いてくれない?」と(笑)。それが、ジャニー喜多川社長でした。翌日から、ジャニーズのバックバンドでオルガンを弾きました。
──ジャニーさんがスカウトを!
穂口 はい、ご本人から直接。流石、ジャニーさんは当時から目が高いですよね(笑)。おかげで、ジャニーズのバンド(「嶺のぼるとジャニーズ・ジュニア」)で一緒だったドラマー・田中清司とはその後も交流が続きまして、「春一番」や「年下の男の子」では彼にドラムを担当してもらいました。
──あの名曲の裏には、ジャニーズの存在があったんですね。その「春一番」といえば、12年4月より、著作権がJASRACの管理下から穂口さん個人の管理下に移行したことが話題となりました。このタイミングでJASRACを退会されたことには、何か意味があったのでしょうか?
穂口 私がJASRACを退会した理由はまず、日本からアメリカに住所を移すことになったからです。JASRACと契約するためには、連絡先が日本になければならない。そのため、将来的には継続不能の可能性があった。もうひとつは、音楽著作権の新たな可能性として、個人管理を経験したいと考えたから。JASRACと著作権管理の信託契約を結ぶ場合、曲ごとに契約を結ぶのではなく、人物単位での契約となります。しかし私は、この曲は著作権を主張するけれど、この曲は主張しない、と分けて活動がしたかった。そこで、JASRACとの信託契約は解除してもらうことにしました。
──特にJASRACに不満があって退会されたわけではないと?
穂口 もちろんです。JASRACには今でもお世話になっていますし、団体のやり方にも問題はありませんでした。強いて不満を挙げるとしたら、JASRACの力が“弱すぎる”ということでしょうか。むしろ私は、音楽出版社を持つ放送局【編註:フジテレビのフジパシフィック音楽出版、TBSの日音、テレビ朝日のテレビ朝日ミュージック、日本のテレビの日本テレビ音楽など】に対しての不満のほうが大きいですよ。
──JASRACの力が弱すぎるとは、どういう意味ですか?
穂口 実は、日本の「放送使用料」、つまり、テレビやラジオなどで流れた楽曲に対して発生する著作権使用料は非常に少ないのです。定期的に放送局とJASRACの間で、年間の放送使用料について包括契約の交渉をするのですが、正当な価格を要求しても、負けてしまうんですよ。それはなぜか。JASRACの理事の半分が、放送局傘下の音楽出版社の経営者たちだからです。