──ファッション誌やブランドの広告に用いられるファッション写真。それを撮る写真家にとっては、あくまで媒体やクライアントのための”仕事”であり、何かしらの”禁則”と常に向き合わざるを得ない。そこで本稿では、各時代のファッション写真におけるタブーを明らかにし、それらを突破した作家たちを取り上げたいが、ファッション写真の登場自体が掟破りだったとファッション写真の歴史に詳しい編集者でライターの富田秋子氏は話す。
『Nick Knight』(Harper Design)
「100年以上前の欧米のファッションは上流階級だけが楽しむもので、そういう階層に好まれるエレガントな雰囲気を伝えるメディアとしてはイラストが用いられていました。一方、写真は単なる記録をするための下級のメディアと見なされており、写真でファッションを表し、それを雑誌に載せることはタブーだった。しかし米国創刊の雑誌『ヴォーグ』は、1909年にコンデ・ナストという人物に買収されると、写真を使ってファッションを発信するようになりました。そして、20年代に入る頃に同誌のメイン写真家となったエドワード・スタイケンは、エレガントでありながら多くの人たちに受け入れられる近代的なファッション写真を確立。もともと画家志望で、“近代写真の父”と呼ばれるアルフレッド・スティーグリッツに見いだされた彼は、当時のアートの知識や技術、感性をファッション写真に応用したのです」
ただ、20年代にはまだスタジオ撮影が基本だった。その常識を30年代に打ち破ったのが、米国の「ハーパース・バザー」誌などで撮っていたユダヤ系ハンガリー人の写真家マーティン・ムンカッチだ。
「それまでモデルのポーズからセットまですべて決め込むのが当たり前でしたが、ムンカッチはモデルを屋外に連れ出し、スナップショットで撮影。水着にマントをつけた女性が海辺を走る姿を撮った代表作は、今見ると驚きはないかもしれませんが、当時は斬新でファッション写真を変えた一枚とも。もともと報道写真出身の彼は、事件の現場をカメラに収めていくあのリアルさをファッション写真に持ち込んだのです。ちょうど『ライフ』や『タイム』といったグラフ誌が部数を伸ばしていた時代だったので、そういうイメージを受け入れる素地が、見る側にもできていたのでしょう」(富田氏)
そんなムンカッチに感化されたリチャード・アヴェドンや、静物写真で知られるアーヴィング・ペンといった写真家たちが活躍した40~50年代は、ファッション写真の黄金期と呼ばれるが、大きな変革が訪れたのはその後の時代だ。
「50年代頃までは、まだファッションの担い手も対象も主に上流階級の大人で、若者はファッションを楽しむ身分ではありませんでしたが、戦後のベビーブーマーが10~20代になった60年代、彼らは旧世代の価値観を否定して新しい価値観を求め、たとえばローリング・ストーンズのような社会に反抗的な音楽が人気を集めた。ファッションに関しても、それまでの上から下までトータルでコーディネートするものではなく、ストリート発のブティックが若者に支持されました。そういう時代の不遜な若者たちの気分を反映しつつ、クールなファッション写真を撮ったのがイギリス人のデヴィッド・ベイリー」(同)
ファッション写真界では珍しく労働者階級出身の彼は実際、ミック・ジャガーなどの音楽家も撮ったが、60年に「ヴォーグ」と契約。
「同じく労働者階級出身で、最初のスーパーモデルといわれるジーン・シュリンプトンはベイリーの恋人でした。その彼女を、まるで一晩過ごした後に髪もとかさずコートだけ羽織って街に出てきたガールフレンドのように彼は撮った。そんな写真に対して、若者は基本的に支持した一方、多くの大人は顔をしかめたそうです。こうしてベイリーは、ロンドン発のユース・カルチャーを代表する写真家のひとりになりました」(同)。