ビデオジャーナリストと社会学者が紡ぐ、ネットの新境地
山田健太氏の著書『3・11とメディア』
[今月のゲスト]
山田健太[専修大学文学部教授]
2月15日、公正取引委員会委員長に内定した元財務次官・杉本和行氏は、再販価格維持制度(通称:再販制度)について現時点で見直す考えがないと表明した。公共性を理由に再販制度を維持している新聞社だが、その是非とは? 専修大学文学部人文・ジャーナリズム学科教授の山田健太氏と議論を重ねた──。
神保 今回のテーマは、新聞の再販制度です。正確には「再販価格維持制度」といいます。メディアに関連した問題には、利害当事者であるメディア自身が中立的に報じないために、一般市民が当然知らされるべきことを知らされていないことが多い。再販はその最たるものと言っていいでしょう。
宮台 「鍵のかかった箱の中の鍵」問題ですね。巨大マスコミが利害相反に陥っている場合、われわれはその問題があることすら知ることができないということです。
神保 このたび公正取引委員会の委員長に内定した財務事務次官の杉本和行氏が、その所信聴取において「新聞の再販制度は現段階で見直す必要があると考えていない」と、あえて新聞の再販に言及しました。その意味も考えなければいけませんが、まずは再販制度について、メディア問題やジャーナリズムが専門の山田健太・専修大学文学部教授に伺っていきたいと思います。
山田 再販制度とは、メーカーが小売に対して「定価販売」を強いることができる制度です。そもそも「定価」という言葉が使えるのは、「新聞、書籍、雑誌、音楽CD」の4種類だけ。あとは「オープン価格」や「希望小売価格」です。小売によって価格が違うのは当たり前で、新聞などは例外的に定価で売らなければいけないということになっています。
神保 販売価格を強制し、従わない場合に卸を拒否することは、「優越的地位の濫用」とされ、本来は独占禁止法で禁じられている行為です。しかし、再販制度の対象に指定された特定の商品にはこの法律が適用されません。「再販売価格維持契約」の条文を見ると、「再販行為は、不公正な取引方法に該当し、原則として、独占禁止法第19条の違反に問われるものであるが、同法第24条の2の規定によりおとり廉売の防止等の観点から、公正取引委員会が指定する特定の商品及び著作物を対象とするものが例外的に同法の適用除外とされている」とあります。195 3年に初めて導入された制度だそうです。
山田 定価販売は昔から行われていましたが、法律で定められたのが53年。戦後の法律体系になってからです。
神保 そして55年、販売店に対する再販の拘束力を強化するために、新聞だけが特殊指定されました。販売員は「新聞をとってください」と洗剤などを持ってきますが、あれは再販や特殊指定によって割引を禁じられているからです。同時にその景品の金額にも上限があるそうです。再販や特殊指定については、これまでも見直しの議論がたびたび起こっていますが、ここまで見送られてきました。
山田 見直し論は60年代からありましたが、時代によって内容が少し違います。大きな流れとしては、おおよそ3つ。ひとつは、「景品をつけるくらいなら割り引いてくれ」という消費者団体から価格の自由化要求があった。2つ目として、新聞は宅配制度なので、「田舎のほうが配達コストが高いのだから、都心の人が損をしている」という議論。そして3つ目は、公取委や政府がいう「自由競争を阻害しているのではないか」「新聞だけを特別扱いする理由はないのではないか」という話です。「新聞は生活の必需品だというが、トイレットペーパーもそうではないか」という有名な言葉があります。この3つが、この50年の間に共通して流れている、再販制度撤廃論の代表的なものです。
神保 01年に再販は「当面存置」となり、05年にもう一度、見直しが提言されましたが、結局は見直されていません。見直しの議論をする際、そもそも再販の目的・意義はどう定義されているのでしょうか?
山田 昔は、新聞社の経営維持の観点から語られることがほとんどでした。新聞は案外、薄利多売なんです。利益率は1・5%や3%といわれており、この利益率を維持しようと考えると、ダンピングが起きれば途端に消えてしまう。そこをなんとか維持したいというのがひとつです。それから、もうひとつの大きな理由は宅配の維持です。日本の新聞は98%が宅配であり、これだけの大部数で宅配制度を維持している国は、国際的に見てもオンリーワン。宅配を維持しようと思ったときには、メーカーが小売の販売店に対しての強い拘束力を持ち続けるのが大事です。つまり、販売店が価格競争を行い、儲けを出そうとすると、距離が離れている家には宅配しないような事態になる可能性がある。この2つの理由から、新聞界は強く再販制度の維持を主張してきました。
神保 新聞は全国どこでも同じ値段で買えるべき商品だ、という考えが根底にあると。
山田 これまでの論理は宅配を維持したい、つまり発行部数を下げたくない、利益を確保したいという経営の論理です。しかし、政府の行革の動きと歩調を合わせて公取委がより強く再販の撤廃を主張し始めた1980年代以降から、別の切り口での意見が出てきました。業界の内輪の論理ではなく、そもそもなぜ必要なのかという、しっかりとした理論構築が求められたということです。その中で、根底にある「新聞とは何か」という社会的役割や文化的意義が議論され、「誰でも同じ値段で容易にアクセスできることが大事だ」という理由付けが出てきました。
神保 新聞は公共性が高い商品であるという前提があるわけですね。90年代には政府、特に公取委が新聞の再販の廃止に向けた動きを活発化させました。これは、政府のチェック機能を持っている新聞を弱らせようという意図がその背景にあったのでしょうか?
山田 うがった見方をすれば、そういう一面もあったでしょう。90年代は自民党の中でもメディア批判、とりわけ新聞、雑誌批判の強まった時期ですから。しかし、表に出る問題としては、消費者団体からの厳しい批判と、アメリカからの圧力です。
神保 アメリカが再販制度に関して文句をつけてきたということですか?
山田 95年には米国政府から、再販制度は「98年度末までに廃止する観点から見直しを行う」ことを求められています。規制緩和の流れの中で、戸別配達制度や再販による縛りが市場開放の障壁であるという見方です。
宮台 以前、ミルトン・フリードマンのベーシックインカム論に先立つバウチャー(用途指定のクーポン券)の議論を紹介したことがあります。彼が市場原理主義者だというのは誤解で、教育や医療に多額の予算をつけろと言います。ただし予算配分を行政官僚に決めさせてはいけない。行政官僚は「公」を口にしても、もともとパブリックに振る舞う動機を持ちようがないので、何が公共的なのかを行政官僚に判断させてはいけないといいます。
彼が言うように、教育バウチャーや医療バウチャーを配り、どこで使うかを消費者に決めさせれば、日本に拡がる公立総合病院偏重主義や、市町村合併に伴う学校の統廃合などのデタラメは生じません。なぜなら、中山間地域にいる老人や子どもが、遠く離れた総合病院や学校に通えるはずがなく、近くの町医者や分校を使うに決まっているからです。
再販制度の背後にあるロジックも、途中までよく似ています。医療や教育のように、人々が同等のアクセシビリティを持つべき分野があるだろうという公共性判断です。ただ、このアクセシビリティを、再販制度のように価格競争の制約で保証するべきかどうかが問題です。万人のアクセシビリティを唱えるなら、所得差まで考慮すべきで、バウチャーを配るほうが合理的かもしれない。とりわけインターネットで新聞コンテンツも配信できるようになった現在、価格競争の制約でアクセシビリティを保証する必要はなくなったはずです。
また、平等なアクセシビリティを保証すべき分野に、書籍や新聞や音楽ソフトが該当するとの判断が、妥当なのかどうかも問題です。新聞については、価格で勝負できない分、内容で勝負するという具合にならず、記者クラブ制を背景に内容が横並びです。インターネットの拡大で新聞情報の偏りが知られるようになった今、公共性は自明じゃありません。