批評家・宇野常寛が主宰するインディーズ・カルチャー誌「PLANETS」とサイゾーによる、カルチャー批評対談──。
[批評家]宇野常寛×[編集者]両角織江
ゴーバスターズ、変身時(上)とバスターマシン(下)。変身バンクの不使用と、巨大ロボの活用は本作の特徴のひとつだ。
毎週日曜朝7時30分から放映される戦隊ヒーロー番組。『仮面ライダー』よりもさらに低年齢層向けとあって、なかなか読者諸兄にはチェックしている人も少なかろうが、2012年放映作はかなりディープでハードな作品だった。それだけに肝心の子どもからの支持はなかなか得られなかった同作が、どれくらい“攻めてる”作品だったのか、振り返ってみたい。
宇野 今回の『特命戦隊ゴーバスターズ』というのは、いわゆる戦隊モノです。もともと平成仮面ライダー(00年『仮面ライダークウガ』~)が始まって以降は、ライダーは親子で見られるようなティーン向けのストーリーになっていて、戦隊モノは男子幼児向けという棲み分けになっていた。それが、平成ライダーが2期に入ってから(『仮面ライダーW』09年~)低年齢化してきて、今回の『ゴーバスターズ』では戦隊モノが完全に大人向けになっていました。
まず本作のひとつの特徴として、特撮ファン的に言うと、言葉の正しい意味での「特撮」をやろうとしていた。実は「仮面ライダー」のような東映作品は特撮というより、スーツアクターが殺陣を見せる、スーツを着たアクションドラマなんですよね。あれはあれで何十年も続いている貴重な日本文化で、僕はむしろこっちのほうが好きだったりするんだけど、『ゴーバスターズ』はそれとは違って、巨大ロボット同士の戦いを見せる、ある種昔の特撮に近いところに重点を置いていた。
そしてストーリー的にも、特に序盤は非常に意欲的だったと思う。「人類が自分で産んだ科学技術の暴走した存在」が敵で「市民生活を支えるエネルギー産業」を狙ってくる。しかも「科学者たちが命懸けで封印したものが、13年経っても常に少しずつ漏れ出しては都市生活を脅かしている」。脚本の小林靖子【1】さんは「意識していない」と言っていたけれど、さすがにあの設定で観ているほうは震災や原発を重ねて観ないわけにはいかない。例えば第2話の回想シーンの「いつか、元に戻す」という台詞が効くのは、観ている人たちは絶対に何もかも元通りにはならないことを、はっきり言えば震災後の1年で思い知っているからですよね。あと、震災からちょうど1年の12年3月11日の放映回では、侵略者・ヴァグラス【2】が攻めてきたせいでエネトロン【3】の発電所が止まって病院が停電してしまうというエピソードをやってのけた。震災と原発を想起させるからいい作品だ、なんてことがあるわけないけど、少なくとも今ファンタジーというか、ヒーローモノだからこそ描ける物語を、この現実を前にぶつけようとしていたことは間違いない。しかし残念ながら商業的には……。
両角 視聴率は伸びず、オモチャも売れなかったですからね。私はもともとアニメ好きと若手俳優ファンという2つの流れから戦隊モノシリーズを観ています。脚本家はじめスタッフが結構アニメと重なるんですよ。『ゴーバスターズ』では、脚本の小林さんの作品を追いかけているのと、自分が好きな「ミュージカル テニスの王子様」(以下「テニミュ」)出演俳優が2人出ているので、注目して観ていました。戦隊モノにしては入り組んだ話でしたね。劇中で使われる言葉も、パソコン用語が多くて子どもには難しかったでしょうし。
今回はキャスティングからして、これまでの戦隊モノと違っていました。いつもは25歳くらいまでがオーディションの対象だったのが、20代後半まで年齢制限を引き上げていて、実際に採用されたブルーバスター役の馬場良馬君は当時27歳。劇中年齢も28歳と高めでした。戦隊の中に年齢のばらつきがあるのは珍しい。加えて、戦隊モノのお約束である名乗り【4】がなかったり、5人戦隊じゃなくて3人にして代わりにヒーローを支えるロボットを入れたりして、戦隊の様式美を外そう、これまでの戦隊モノを変えようとしているのは感じました。
でも、名乗りをやらない代わりに何かをやるわけではなく、減った人数の代わりに投入されたバディロイド【5】はうまく機能していなかった。全体に消極的な理由が多くて、そこは観ていてもったいなく感じました。戦隊ファンとしては寂しい部分もありましたし。
宇野 バディロイド3体は確かにキャラが立ってなくて、意味付けが弱かった。例えば『仮面ライダー電王』(07~08年)なら、気弱な主人公・良太郎が怪人“イマジン”に憑依されることで、「本当はこうなりたい」というキャラクターに変わる。「イケイケになりたい」とか「男らしくなりたい」とか、男子幼児が抱くわかりやすい「かっこいいお兄さん」の類型に変わらせてくれる。でも、『ゴーバスターズ』の主人公であるヒロムたちにとって、バディロイドのニックたちのキャラクターは何だったのか、いまいちよくわからなかった。多分、彼らが失った親と友達の、中間のような位置にしたかったんだろうけど。
両角 おそらくアニメ『TIGER&BUNNY』(11年)や東映のドラマ『相棒』(00年~/テレビ朝日)の影響なのか、バディものの要素を入れたいという意識があったと思うんです。でも“バディ”って互いが補完関係にならないと成立しないと思うんですが、バディロイドは単に周囲をうろうろしているだけになってしまっていた。それが、追加戦士である陣先輩【6】と彼のバディロイドであるビート・J・スタッグの登場で、ようやくどういう存在なのかわかるようになりました。
宇野 僕も、序盤の気合の入ったハードなエピソードがひと段落した後、脚本がちょっといつもの戦隊モノに近づいてしまって、だとすると大人向けの設定のせいでどうしても地味になってしまってしんどいなあ、と思っていたところに陣先輩が出てきて、ぐっと引き戻された感じですね。