──「仁義なき戦い」「極道の妻たち」など、東映が迫力あるヤクザ映画を生み出せた理由は、絵空事だけではないヤクザとの関係があった。その歴史を振り返りながら、暴排条例以後のヤクザ映画を占うと……。
『日本映画ポスター集―東映活劇任侠篇』
「全員悪人」のキャッチコピーで、北野武監督が情も義理もない殺伐とした抗争の世界を描いたヤクザ映画、『アウトレイジ』。その続編である、『アウトレイジ ビヨンド』は、動員数110万人、興行収入14億5000万人という記録を叩き出し、第69回ベネチア国際映画祭コンペティション部門の正式上映でも高い評価を受けた。同作の配給はワーナー・ブラザーズとオフィス北野。伝統的なヤクザ映画の枠組みとは外れたところから送り出されている。そもそも“ヤクザ映画といえば東映”といわれるほど、質量共に優れた作品を生み出し続けてきたのは東映だった。『仁義なき戦い』【1】『極道の妻たち』【2】といった不動の人気シリーズ、その下地を作った『網走番外地』【3】、『昭和残侠伝』【4】、『緋牡丹博徒』【5】といった任侠物……。
名作ヤクザ映画の下地となった作品が作られた60年代半ば当時、同作は学生運動に身を投じる若者にも絶大な支持を受けたという。映画評論家の佐藤忠男氏は次のように解説する。
「あの頃の学生自身も、時代の変革を叫びながら、実は自分たちの闘争が任侠映画のような、時代に逆行する反社会性に基づいていることを、どこかで自覚していたのではないでしょうか」
権力や社会を怖れない男たちの生きざまに、観客は本気でシビレたのだろうが、ヤクザ映画は、基本的に暴力団を美化して格好良く見せることから成り立っている。『ヤクザも惚れた任侠映画』(宝島SUGOI文庫)の編集などを手がけ、マンガ『クロサギ』の原作者でもある夏原武氏によると、「本職のヤクザの中には、ヤクザになる前からヤクザ映画を見て憧れていたという人も多く、実際にヤクザの事務所にはヤクザ映画のビデオがあり、事務所の留守番をする若い衆に見せているところも多かった」という。だが、現在の暴力団事務所には銃を常備していないことがほとんどで、敵対する組員の襲撃に対して銃で応戦するといった抗争シーンは、現実とかけ離れていると続けている。各所で高い評価を得た『アウトレイジ』についても、夏原氏は「あれは完全にファンタジーの世界。まるで警察もマスコミも存在しないかのような世界だし、現実にあんなに銃を使ったら大騒ぎになりますよ」とそのリアリティには否定的だ。
一方、かつての東映ヤクザ映画といえば、想像の産物どころか、十二分に実際のヤクザの世界を映画の中に反映させようと、まさに血の滲むような格闘を続けてきた歴史があり、それが絵空事ではない迫力をスクリーンに生み出してきた。実際の抗争を映画化するために本物のヤクザと交渉したり、時にはリアルな絵作りのためにヤクザに協力を仰いだりと、暴力団排除が叫ばれる今では、とても考えられないようなことが起こっていたのだ。三代目山口組田岡一雄組長の半生を実名で描いた『山口組三代目』【5】、稲川会の代紋が登場する『修羅の群れ』【6】など、まさにタブー破りの常習犯であった東映ヤクザ映画の歴史を、ここでは振り返ってみたい。
時代劇から任侠物へ 新興会社・東映のDNA
東映ヤクザ映画の歴史を語るには、その前段の東映任侠映画、さらにその前に作られていた東映時代劇にまで遡る必要がある。前出の佐藤氏に解説を願おう。
「東映は、東横映画と大泉スタジオという会社が戦後に合併してできた、松竹・大映・東宝といった会社に対して後発の映画会社。東横映画は満州の国策映画会社だった満映(満洲映画協会)の引揚者を大勢受け入れています。組合と会社が対立して東宝争議を起こした東宝などと比べると、東映は人材の性格としては保守派、やや右がかった人が基盤となって成立した映画会社だと言えます」