――上京して数十年、すっかり大阪人としての魂から乖離してしまった町田康が、大阪のソウルフードと向き合い、魂の回復を図る!
photo Machida Ko
どぶさらえはつらかった。くっさいし、さっむいし、おもろないし。みんな自分勝手なことばかり言って人の話を聞いてないから、ぜんぜん前へ進まないし。けどまあ、なんとか終わらせた。もうあんなことは二度とやりたくないと思った。来年はどぶさらえの時期には格安航空で韓国とかにいって安宿に隠れていようとさえ思った。
さて、とはいうもののなんとかやりおおせて帰ってきたので先月に引き続いてお好み焼きの話をしようと思う。といっていきなり別の話になって申し訳ないが、三十年前、畿内より東国に参って驚いたのはトンカツ屋の多さであった。東国に参って私が宿ったのは世田谷の代沢界隈であるが、近所を歩いているとトンカツ屋がある。
あ、こんなところにトンカツ屋がある。トンカツなんざあ、向こうではあまり食することもなかったがこんな近間にあるンだったら一度、食してみるか。なんて、思いつつ横目に見て通り過ぎて、ものの百メートルもいかないうちにまたトンカツ屋、そこから少し行くと、またトンカツ屋、って調子で、いけどもいけどもトンカツ屋が途切れることはなく、或いはこの界隈は日本でも有数の豚の産地なのか、なんてことも考えたがそうでもないらしい。ということは、この界隈の人が異常にトンカツを愛好し、週に何度も何度も、下手したら毎日のようにトンカツを食べるため、これだけトンカツ屋があって潰れないでやっていけるということで、おかしなところに宿ってしまったものだ。そう思うとなんだか町中が油臭いような、脂でベトついているような心持ちがしてきて胸くそ悪くなった。
いっそ宿替えをしようかとも思ったが、その銭もないため我慢して住むうちいつの間にか気にならなくなった。というか、その後、多少、形勢を回復して、近間だけではなく、渋谷新宿、上野池袋、品川や、ときには綱島町、大宮あたりまでものして歩くようになったが、いずれの町にもやはりトンカツ屋が櫛比して、それにいたって初めて関東なるところはトンカツ屋が極端に多いところと知った。