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町田康の「続・関東戎夷焼煮袋」第1回

お好み焼き――純粋を志向する魂に種種雑多なものが混入していくこと。それこそが大阪の魂の回復。

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――上京して数十年、すっかり大阪人としての魂から乖離してしまった町田康が、大阪のソウルフードと向き合い、魂の回復を図る!

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photo Machida Ko

 今から数箇月にわたって、お好み焼き、の話をしようと思っている。それは誰が。私が、である。私が、お好み焼きの話をしよう。と思いながらこれを書いているのである。と、文章が無茶苦茶になるのは自分のなかに迷いがあるからで、じゃあ、それはどんな迷いかというと、なんの前置きもなく唐突に、お好み焼き、の話をしてよいものだろうか、という迷いである。

 人はそれぞれの人生を生きている。突然、お好み焼きの話をされても困惑するばかりだろう。なかには、「忙しいのになにをのんびりお好み焼きの話さらしとんどゃどあほ。殺すぞ」とひどいこと立腹する人もあるかもしれない。

 だったらお好み焼きの話などやめて、誰もが興味を持つような、サッカーやグルメや温泉の話、或いは、景気動向、政局などの話をすればよいようなものだが、そうもいかぬ事情があって、私はいまはどうしてもお好み焼きの話をしなければならない。

 まことにもって因果なことで、なんでこんな人前でお好み焼きの話をしなければならなくなったのか。そこには様々の奇ッ怪なる事情があった。まずそれについて説明しよう。

 そもそもの発端は平成二十三年の二月。「大阪人」という雑誌の編輯者G氏が私方にやってきたことに始まる。その日が晴れだったか雨だったか、或いは曇りだったか覚えておらないが、その日は朝から、カッパのようななにかが、私の心の中で、なにかこう、輪投げのようなことをしていたのをいまも鮮明に覚えている。

 それも薄らいできた午頃、G氏は私方にやってきた。用件は単純明快、G氏は言った。

「此の度、大阪人という雑誌の編集業務を担当することになった。ついては文章を寄せられたい。期日は幾日。稿料は幾ら。否か応か。存念を伺いたい」

 私は直ちに答えた。「諾」と。なぜなら文章を寄せるのは私の生業であったからである。

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