――日本のマンガは、戦後に萌芽した文化ではない。それは、戦時中も描かれていたのだ。では、厳しい規制があったと想像されるあの時代の表現は、やはり国粋主義的なものだったのだろうか? だとすれば、当時の作品は、この国のマンガ史において黒歴史でしかないのか?
「少年倶楽部」第22巻1号付録(講談社/1935年)に掲載された田河水泡『のらくろ軍事探偵』。『のらくろ』は戦時下の大ヒット・シリーズ。
「決死隊の出発だ」「命をすてに行くのだ/勇ましく敵陣へ肉迫しろ」
これは、野良犬が犬の軍隊に入って活躍する、田河水泡による戦時下の大ヒット・マンガ『のらくろ』シリーズ【1】のひとつ、『のらくろ上等兵』の一場面。しかし戦時下(1931年の満州事変~45年の太平洋戦争終結)、この場面のような国威発揚・軍国主義的なマンガしかなかったわけではない。
この頃のマンガは小学生などが読む「子どもマンガ」と20代の大人が読む「大人マンガ」に分けられるが、中心となったのは前者だ。特に講談社から刊行された少年誌「少年倶楽部」では『のらくろ』や、南洋の未開の地での活劇を描いた島田啓三の『冒険ダン吉』【2】、中島菊夫の時代劇『日の丸旗之助』などが連載され、子どもマンガを牽引。だがマンガ評論家の梶井純氏は、「読者数は現在のマンガ誌に比べてはるかに少ない」と語る。
「『少年倶楽部』読者は都会ですら1クラス50人中10人もいないのが普通で、子どもたちは学校でひそかに回し読んでいた。一般家庭にお金がなかったこともありますが、ほとんどの家庭で『マンガなんて読まずに本を読みなさい』と言われていたほど、マンガは社会的に読み物以下の低俗な存在。だから国家はマンガを当初は問題視せず、規制しなかった」(同)
この頃の人気作には、サイボーグが主人公の阪本牙城『タンク・タンクロー』【4】や、宍戸左行の空想科学的ストーリー『スピード太郎』があるが、同氏は「特に男の子は戦争ごっこをして遊んでいたので、マンガもごっこ的に好戦的なものがおもしろがられたにすぎない」という。明治大学准教授でマンガ史を専攻する宮本大人氏は、表紙が赤系統の色の「赤本マンガ」と総称されるマンガ単行本群も「戦争マンガや時代劇マンガが非常に多かった」と語る。加えて「“チャンコロ”(中国人を指す蔑称)という言葉を使い、支那人の首がじゃんじゃん飛んでいた。ただそれは、国が奨励したものではなく、草の根的で野放図なナショナリズム」と指摘する。