──既得権益がはびこり、レッドオーシャンが広がる批評界よ、さようなら!ジェノサイズの後にひらける、新世界がここにある!
『平 清盛 完結編』
大河ドラマ『平清盛』にハマっている。僕は脚本家の藤本有紀の大ファンで、『ギャルサー』(日本テレビ)は最初の著書で取り上げたし、朝ドラ『ちりとてちん』は自分の雑誌で特集を組んだほどだ。『咲くやこの花』(NHK)や『ミニモニ。でブレーメンの音楽隊』(NHK教育)あたりの作品までフォローしているのだから、我ながらなかなか筋金入りだと思う。この『平清盛』は序盤数回を観た後、しばらく忙しくて追いかけられていなかったのだが、一度録画を消化し始めたらたちまちハマって、今では週に一度の最大の楽しみになっている。
さて、この『清盛』、ドラマファンの評価は高いものの、先鋭的な演出や複雑なストーリー、そして平安末期という時代設定が視聴者に嫌われたのか、視聴率はイマイチ伸び悩んでいる。もちろん、僕は同作のスタッフの挑戦的な姿勢を全力で応援したいと思うが、今回話したいのはまったく別のこと──僕がこのドラマから連想した、今のマスメディアの構造やそこにかかわる若手言論人としての自分のスタンスのことだ。
僕にはこの作品が、こう見えて仕方がない。このドラマの制作者たちは「平家」だ。NHKという巨大官僚組織=朝廷の「中」に留まりながら、そこで一定の権力を獲得することで圧倒的な予算とインフラを利用し、斬新な政策を実行する=質の高い番組を追求する──。同局に勤めるある友人は、こう漏らしたことがある。「NHKの面白さは、制限の中でどれだけ面白いことがやれるか、というゲームにある」のだと。