「日本観光写真壁画」(制作:国際報道写真協会)『フォトタイムス』(1937年4月号)より/個人蔵
会場の日本館の壁面の大きさに合わせて制作されたもので、万博に出品された写真壁画としては日本最大。
8年後の五輪を東京に招致する構想があるが、戦前の東京で五輪が予定されていたことはあまり知られていないだろう。神武天皇即位から2600年目に当たるとされた1940年(紀元2600年)の奉祝事業として東京市が五輪招致を牽引し、東京と横浜での万博の開催権も同じ年に獲得した。1930年代から行われた招致活動が実を結んだ形だ。1937年のパリ万博への「日本観光写真壁画」の出品も、その一環であった。この写真壁画は万博と五輪を日本に招致するために、国際観光局の主導のもと第一線で活躍する技術者たちの手で制作された、言わば巨大な広報物であった。高さは2・1メートル、幅は18・0メートルにも及ぶ。「日本観光写真壁画」(予定図)の下部には「第12回オリンピックと万博を1940年に東京で」というフランス語のメッセージが入れられている。デザイナーの原弘の下絵をもとに、写真家の木村伊兵衛、小石清、渡辺義雄らによる日本各地の名所写真がモンタージュされ、「フジヤマ・ゲイシャ」的な伝統的な日本イメージと近代的な建築物や交通機関を競演させることで、観光地へのアクセスの良さを対外的にアピールするものであった。