『よくわかる競輪のすべて』(三恵書房)
五輪三連覇の偉業を達成した女子レスリングの吉田沙保里、伊調馨の金メダルを始め、10日(日本時間)までに実施された競技を終え金メダル5個、銀メダル14個、銅メダル16個を獲得した日本選手団だが、「隠れた金メダル候補」として注目されていたのが自転車競技のトラックレースの種目である「ケイリン」だったという。
「日本発祥の公営競技・競輪を元に作られた競技で、それと区別するため『ケイリン』と表記されている。あまり話題にならなかったが、現在、日本生まれの五輪種目となっているのは柔道とケイリンのみで、ケイリンは00年のシドニー五輪から正式種目として採用され、08年の北京五輪で永井清史が銅メダルを獲得し、同種目で日本人初のメダリストとなった。北京後は本格的に五輪で金メダルを狙うため強化体制が改善され、11年春、ついに“ミスター競輪”こと中野浩一が選手強化委員に就任しレベルアップを図り、関係者も『金メダルに手が届くレベル』と太鼓判を押していた」(スポーツ紙デスク)
トラックの代表として男子はいずれもトップクラスの競輪選手である渡邉一成、中川誠一郎、新田祐大の3選手が出場。前哨戦となる4月の世界選手権で、日本は団体戦のチームスプリントで4位、渡邉がケイリンで5位とメダル射程圏内かと思われていたが、フタを開けてみれば、チームスプリントは予選8位で、1回戦で開催国のイギリスに敗れ、ケイリンでは渡邉が1回戦で同組最下位と惨敗。敗者復活戦で勝ち上がり準決勝に進出したものの、またも同組で最下位に沈み、7~12位決定戦に回ったものの、11位に終わった。
その結果、アテネではチームスプリントで銀、北京ではケイリンで銅と、2大会連続でメダルを獲得していたが、自転車のトラックレースは今大会でメダルが途絶えてしまったが、勝てないのにはそれなりの理由があるという。