──「スポーツによる世界平和」という政治的メッセージのもとに始まり、ナチスによるプロパガンダに利用されつくしたベルリン大会、冷戦期の代理戦争としてボイコットが相次いだモスクワ・ロス両大会など、常に政治に翻弄されてきた近代五輪。この巨大な世界的イベントは、政治とどう格闘し、政治をどう乗り越えていくのか?
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「政治そのもの」から「脱・政治」へオリンピックと政治の長き関係史
2009年10月2日、デンマークのコペンハーゲンで開かれた、2016年夏季五輪の開催都市を決定する国際オリンピック委員会(IOC)総会。超過密スケジュールの間隙をぬって最終プレゼンテーションの演壇に立ったオバマ米大統領は、「シカゴ、優勢」という、おそらくはミシェル夫人経由で招致関係者に吹き込まれたであろう情報を胸に、自らの出身地の最後のひと推しのため、「世界が誇りに思えるような素晴らしい大会にすることを約束する」と高らかに宣言した。その2年前、2014年冬季大会の開催都市を選ぶIOC総会で、同じくスピーチによってソチに栄冠をもたらした、プーチン露大統領の豪腕の再現なるか──多くの人がそんな思いで壇上を見つめたことだろう。
そして、最終選考に残った4つの都市で争う第1回目の投票の結果──シカゴ18票、最下位。赤っ恥をかかされたオバマはその時、滞在わずか5時間で、すでに帰路についていた。五輪の歴史をよく知る者なら、こう受け止めたに違いない。「政治の“落とし子”として19世紀末に蘇り、長く政治と共に歩んできた近代五輪が、ついにその“生みの親”である政治を乗り越えた、象徴的、かつ歴史的な瞬間である」と。
フランスの教育者であるピエール・ド・クーベルタン男爵の提唱により、古代ギリシャの“平和の祭典”の復興を目的として始まった近代五輪が、その肥大化の過程で、国際政治の世界と深くかかわるようになったことはよく知られている。クーベルタンの掲げた世界平和や青少年教育といった理念、そして鍛え上げられたアスリートたちの華やかな活躍の裏で、五輪は、国家や人々の政治的ツールとして常に利用され続け、そのときそのときの国際情勢を反映しながら、自らの歴史を刻んでいったのである。
ところが、近年の五輪は、冒頭の事例が示唆するように、少なくとも国家レベルの政治や国際政治上のパワーバランスという意味において、政治性をほとんど感じさせないものになっている。かつてヒトラーによって利用され、東西冷戦の舞台にもなった五輪が、今ではまさに“脱・政治化”しつつある──しかしそのような状況に至るまでには、相応の紆余曲折があったのだ。
そこで本稿では、近代五輪の黎明期から、2012年7~8月に開催される予定のロンドン大会(第30回)までの五輪史において、五輪と政治とがどのように絡み合い、そしてその関係がどのように変容していったのかについて、識者のコメントを交えつつ、あらためてひもといていくことにする。(文中敬称略)