──前章までで論じた、雅子妃の「ご病状」に関するメディア分析。本章ではそれを踏まえ、現役精神科医に雅子妃の症状を分析してもらった。雅子妃の担当医である大野裕医師による治療の妥当性も含め、雅子妃ご回復の可能性に迫りたいと思う。
【99~02年】ご発病前夜
99年12月
「懐妊の兆候」報道と稽留流産
男児出産のプレッシャーは年々強まり、99年12月、朝日新聞の懐妊スクープ記事でピークに。直後に雅子妃は稽留流産。精神的不調の前兆はこの頃から見られたという。翌00年の夏以降、次第に公務等への欠席が目立ち始め、12月の誕生日会見では懐妊騒動について「正直戸惑いを覚えたことも事実」と苦しい胸の内を吐露した。
[02年の外出日数] 97日(静養/41日)
精神科医が分析する「原因」
■お世継ぎ出産の重圧が精神的ご不調の原因か
──雅子妃の精神的なご不調は、どのようなメカニズムで起きたというべきなのか、そして、巷間語られているような「お世継ぎへの重圧」は、いかほどのものだったのか。
絶えず世継ぎ出産の重圧をかけられる一方で、子作り最優先という宮内庁の意向により、自身のキャリアを生かせる外国訪問の機会をほとんど与えられなかった雅子妃。岩波医師は、「心の不調の原因は、そうした皇室のしきたりとの軋轢や、それに伴う長年のバッシングなど複数あったと考えられますが、やはり最大の要因はお世継ぎ問題でしょう。また、一般的にいえば、出産と育児も精神的不調の悪化要因になります。そもそも民間から皇室に嫁ぐというだけでも、美智子皇后がストレスで失声症になった例を挙げるまでもなく、相当なプレッシャーになるのですから、もともと雅子妃に精神的な弱さがあったというわけではないと思います」と分析する。
ただし、都内の病院に勤務するある精神科医が、「完璧を求められて常に応えてきた人だからこそ、成婚後も周囲の無理な要求を『できなくても仕方ない』と割り切れず、自身を苦しめてしまったのでは」と指摘するように、性格的な適性の問題もないとはいえないようだ。