──12年1月、戸塚ヨットスクールで訓練生がまたも自殺を図った。同校は、不登校の子どもたちが通う"フリースクールだ。そこで今回、不登校問題に取り組み続けている保坂展人世田谷区長に、教育の革命家を聞いた。
[推薦人]
保坂展人(ほさか・のぶと)
1955年、宮城県生まれ。世田谷区長。中学校在学中の政治活動と学校批判をめぐり、高校生当時の72年に内申書裁判の原告となり、以降、16年間争う。80年代から教育ジャーナリストとして活躍し、96年には衆議院議員初当選。11年4月に世田谷区長選で当選を果たす。
1970~80年代くらいまで、「不登校」は「登校拒否」と呼ばれ、"登校拒否=病気"と語られる傾向が強かった。学校へ行かないのは当事者の子ども、もしくはその子どもを育てた親に原因があるとする考え方が主流で、不登校の子どもを精神科に通院させて薬を飲ませたり、場合によっては病院側が強制入院させることもあった。「不登校の背景には"学校でのいじめ"が存在していることが多い」という因果関係が、当時はあまり理解されてなかったんですよ。だから、文部省も「登校拒否は、あってはならないこと」としていました。結果、不登校児が出ると、学校の担任教師はその子の自宅を訪問して「なんで来ないんですか」と本人や親を問い詰め、親も親で、朝になると嫌がる子どもを無理やり学校に連れていく……そういうことが日常茶飯事として行われていたんです。今年1月に訓練生が飛び降り自殺をした戸塚ヨットスクールも、海上の訓練で子どもを叩き直せば不登校を克服できるという、まさに"登校拒否=当事者の問題"ととらえたアプローチをしているわけですから、未だにそう認識している人もいる証拠です。