──「コメ」や「ラーメン」が「主食」「国民食」という地位を獲得するとき、そこには必ずナショナリズムが動員された? いったいその原理とは? 本誌でもおなじみのライター速水健朗氏と、稲作文化研究が専門の歴史社会学者の対話によって明かされる、「日本人」と「食」の物語!!
速水健朗氏。
「ラーメン」なる存在を通して、戦後日本の文化・経済・メディアの歴史を解き明かし、好調な売れ行きを示している『ラーメンと愛国』(講談社現代新書)。同書の中で著者の速水健朗氏は、一橋大学大学院に在籍中である山内明美氏の論文「自己なるコメと他者なるコメ――近代日本の〈稲作ナショナリズム試論〉」を、重要な資料として引用した。
山内氏は、本誌2011年11月号に掲載された記事「『日本の植民地』たる東北で、"タブー"なき復興とは何か?」において、学問上の師匠に当たる社会学者の小熊英二氏と対談した、新進気鋭の稲作文化研究者。今回の対談は、その山内氏たっての希望で実現したものである。
ラーメンとコメという2つの「国民食」を通し、明治期以降語られてきた「日本人の歴史」を問い直し続けている速水氏と山内氏。両者が語る「日本人」と「食文化」との関係とは、どのようなものなのだろうか?
速水健朗(以下、速) 山内さんの「自己なるコメと他者なるコメ」という論文は、自著『ラーメンと愛国』の中でも引用させてもらっていて、今日はいろいろと教えていただきたいことがあるんです。だけどその前にまず、なぜ僕が『ラーメンと愛国』を書こうと思ったかについて話しておいたほうがいいですね。
山内明美(以下、山) 最初、『ラーメンと愛国』というタイトルからは、ラーメンと稲作とがどう結びつくのかわからなかったんです。だから、速水さんがどういう経緯で私の論文にたどり着いたのかには、興味がありますね。