──特集【2】のドラフト事件と変遷史を始め、ドラフトの歴史を振り返ってみると、世間を騒がせてきた"事件"には、どれも読売ジャイアンツがからんでいる。もうひとつの側面からドラフトの歴史を覗いてみよう……。
「巨人 ドラフト1位のその後」(宝島社)。
ドラフト制度の変遷は、そっくりそのまま"球界の盟主"たる巨人の暗闘の歴史であるといっていい。
そもそも、制度ができる以前、60年代前半の巨人といえば、「巨人・大鵬・卵焼き」なる言葉が流行したほどの超人気球団。プロを夢みる野球少年はみんな巨人に行きたがったし、当の球団は、その絶大なるブランド力の上にあぐらをかいてさえいれば、黙っていても将来のスター候補は向こうからやってきた。
ところが、西鉄(現・西武)の西亦次郎オーナーが提唱する、契約金高騰の抑止と戦力の均衡を目的にした新制度の導入に他球団が同調したことで、本当は自由競争のままが断然よかった巨人も、渋々ながらこれを了承。かくしてアメリカのNHLを手本にした日本版ドラフトは、65年のシーズンオフに記念すべき初開催を迎えることになる。
むろん、これまで欲しい選手を好き勝手に獲ることのできた巨人にとっては、制度がもたらすメリットなどこれっぽっちもあるはずがない。実際、68年には、法大・田淵幸一のようなトップスターをみすみす逃すことにもなっていたのだから、ここぞとばかりに盟主の存在感を発揮して、制度の形骸化を画策したとしても、なんら不思議はなかった。