荻上 そもそも「集合知」という概念自体が、いまだ整理されていないと思います。多くの場合、「集合知」といえば、「皆が少しずつ力を合わせれば、大きな力になる」とイメージするでしょう。こうした「加算的な集合知」、つまり『ドラゴンボール』の元気玉のような集合知は、投票や署名、ツイッターやFacebookでの拡散の一部には当てはまるものです。ですが、実際にしばしば見受けられるのは、「確率論的な集合知」。アニメ『東のエデン』テレビ版ラストにあった、「2万人もいれば、ひとりくらいはいいアイデアを出してくれるだろう」といったようなケースですね。専門性が高かったりしてアクセサビリティの低い課題についても、母集団の分母を大きくすれば、その課題を解決してくれる人にリーチできる確率がそれだけ高まるだろうという方法です。実はWikiLeaksはこれに近い。皆で少しずつリークしているという話ではなくて、世界中に何百何千万とWikiLeaksの支持者がいるならば、その中でひとりくらいは米国防総省の中の人とかにリーチするだろう、という(笑)。