──震災前、すでに活力を失いつつあった東日本大震災の被災地。"日本の植民地"たる東北に、描くべき未来はあるのか? 気鋭の社会学者・小熊英二氏と、震災で甚大な被害を受けた南三陸町出身の山内明美氏が、その難問に挑む。
東日本大震災から7カ月が過ぎた。その被害は甚大で復興にはいまだほど遠く、メディアに登場する被災地、そしてそこに生きる被災者の姿はいきおい、「かわいそうな被災者」、そして「そんなつらい現実を受け止め、懸命にがんばる人々」と、感傷的に描かれがちだ。いや、現にそうである以上、そのこと自体を非難はできまい。しかし、そのように"のみ"被災地が語られてしまうことで、覆い隠されていること─タブー─がありはしまいか?
被災地の大部分は、震災前からすでに疲弊しきっていたのではなかったか。そうした被災地にとって、国からただ予算を引っ張るだけの、そしてその代わりに国の要求に沿う形でただ町や村を再生させるだけの「復興」に、一体いかほどの意味があるのか――。