――もともとは暴力団組員という経歴がマスコミに報じられたKという人物。
「PRIDE」の裏側を綴った『嫌われ者。』。件のK氏も登場!?
いつの間にか芸能プロ「ビッグビート」の社長として、2000年頃、酒びたりの毎日で引き受け手がなくなっていた中森明菜のマネジメントを担当した時期もあった。またK-1のスタッフとして「裏の仕事」をこなすことで石井元館長の信任を得て、ここで格闘界の人脈を作り、03年の大晦日に勃発した格闘イベント抗争で業界に名前を売ることに。『イノキボンバイエ2003』(日テレ)のプロデューサーとして『K-1プレミアム2003ダイナマイト』(TBS)、『PRIDE男祭り2003』(フジ)に対抗。プライドのチャンピオンだったヒョードルの引き抜きに動くなど、派手な動きが話題になった。ところが興行は大失敗し、追い込まれたKは海外逃亡を余儀なくされる。当時、K-1のケツモチといわれていた後藤組・後藤忠政元組長の著書『憚りながら』(宝島社)にはこう書かれている。
「猪木のイベントのプロデューサーをやっていた男が、ウチの兄ちゃんたちに、ケツを持ってくれたら何千万円だか差し上げます、なんて約束したのに、人を使うだけ使って、金も払わずにションベンひっかけて逃げちゃったんだ」