永田を送る会にて。永田の弁護士が言った。「東日本大地震は犠牲者2万人を超える大惨事となるだろう。だが、死を数でとらえてはいけない。ひとりでも死は死である」。正面のテーブルには、永田の棺の写真とそれを乗せた霊柩車、永田が殺した14名の名を記した楯が置かれた。(写真提供/週刊金曜日)
3月13日、西馬込で行われた「棺を覆いて―永田洋子を送る会」に参列し、追悼の辞を述べた。
永田洋子は、1971年に京浜安保共闘の幹部としてメンバー2名の殺害に加担(印旛沼事件)、その後72年にかけて連合赤軍のリーダー格として同志12名に対しリンチを指示、殺害した(山岳ベース事件)。93年に死刑が確定したが、脳腫瘍で倒れ、今年2月、東京拘置所内で死去した。
送る会に集まったのは、「銀行を襲って(刑務所に)28年入ってました」なんて言っているようなやつばかり。みんな私と同じようにうすらハゲで筋肉質。ジーパンなど平服が多かったが、私はヴェルサーチの喪服を着た。
衝撃的なことが2つあった。ひとつは、永田は約5年間寝たきりでおむつをしていたので、脚を開いたまま下半身が固まってしまい、棺桶になかなか入らなかったということ。