──アイドルらのパンチラや胸チラなど、いわゆるハプニングショットが売りの"お宝系雑誌"。だが、長引く出版不況の影響をモロに受けてしまい、休刊が相次いでいる──。そんな業界のあだ花ともいえるお宝系雑誌の制作舞台裏を、関係者が語る。
当初は写真週刊誌の数ページにすぎなかったハプニングショットだが、90年代中盤「お宝ガールズ」や「BUBKA」(いずれもコアマガジン)が火付け役となり、同様の写真を多数掲載したお宝系雑誌が雨後のたけのこのように創刊ラッシュを迎えた。その中のひとつに、女子アナを専門に扱う媒体が登場し、新たな読者層を開拓。これまで、女子アナ関連の雑誌・単行本を多数制作してきた編集プロダクション「KyoPro」代表・松本京也氏は、次のように語る。
「当時は毎月のように女子アナ系ムックや増刊誌の制作依頼があり、全盛期の雑誌レギュラーは月30~50本。締切は1日5本という日もあり、コンビニに行けば必ず毎日携わった雑誌が発売されていました。その分、ネタが大量に必要になるので、全国のパパラッチ約80人を総動員するなど、結構大がかりなプロジェクトでしたね」
その後、00年代に入ると、音事協(日本音楽事業者協会)が「肖像権の侵害」を掲げ、お宝系雑誌相手に複数の訴訟を起こし、一部の芸能人の写真が使用困難となったものの、こと女子アナにおいては無風、あるいは追い風さえ吹いていたという。