翻訳論の専門家である慶応義塾大環境情報学部教授に「そもそも『翻訳』とはいかなる行為なのか?」を聞く。専門家の目には、昨今の"誤訳論争"はどのように見えているのだろうか?
──最初に、昨今の"古典新訳ブーム"をどう見ていますか?
書店には、数多くの翻訳書が並ぶ。明治期以降、日本
人が多くの海外文学を受容してきたことの証しか?
霜崎實(以下、霜) ひとつの作品に対し複数の翻訳が出ること自体は日本特有の現象ではありませんが、『星の王子さま』のように十数種ともなると、おそらく世界的にも例のないことです。『赤毛のアン』も、とても質の高い定番の村岡花子訳(三笠書房、52年)があるにもかかわらず、次々に新訳が出ていますよね。日本人には伝統的に海外古典好きな側面があるなど、要因はいくつか考えられますが、やはり村上春樹の「前回の海外古典ブームから50年が経過し、翻訳の"賞味期限"が切れたから」という見方に、信憑性があると思います。50年前と今とでは、もろもろの社会背景が違うというだけでなく、日本語にとって半世紀という期間は、明確な変化を遂げるのに十分なスパンといえるからです。作品にもよりますが、いかに優れた翻訳でも、若い読者に訴える力が時とともに弱まっていくのは避けられませんから、古典の"revive"(生き返らせる)には、"revise"(改訂)が必要なんです。