(写真/田村昌裕)
日本のUFO界は、この人ナシには語れない!! 日本テレビプロデューサーとして、日本UFO界の黄金時代を築いた男が語る「UFO番組のつくり方」、そして、今の日本のUFOメディアに足りないものとは?
──矢追さんは、現代日本のUFOシーンをつくった第一人者でいらっしゃるわけですが、そもそもなぜ、テレビでUFO番組をやろうと考えたのですか?
矢追(以下、矢) みんなに「空」を見せたかったんですよ。高度成長期に入って、経済的にはどんどん豊かになっていったけど、それに比例して、一点ばかりを見つめて歩くゾンビのような日本人が増えてしまった。人間って、ふと立ち止まって空を眺めるぐらいの余裕がないと、煮詰まっちゃうのにね。日本テレビにいた当時、僕の担当は『11PM』というエンターテインメント番組でしたから、空を見てもらうにも星座の話ではしょうがないし、何かいい素材はないかなと模索してたんです。そんな時に、たまたま本屋さんでUFOの本を見つけてね。読んでみると、宇宙人が空飛ぶ円盤に乗って、遠い宇宙から地球にやって来ている、と書いてあるじゃないですか。こりゃいいや! と思ったんですよ。それがすべての始まりでした。
──先駆者として苦労されたことは?
矢 まず、撮影自体が大変でした。全部が生放送って時代だったからね。カメラの重さも大きさも半端じゃない。外に持ち出すことなんか想定されていないんだもの。それを屋上まで運んで、UFOなんぞを撮るっていうんだから、そりゃえらい騒ぎだった。技術のおエライさんからはキチガイ扱いされるし、「宇宙人」ってあだ名は付けられるし(笑)。