──「ツイッターは○○○を変えるか」という議論が盛んだが、「ツイッターが文学を変えるか」が話題になることは意外とない。ここでいう「文学」は小説という程度の意味だが、このメディアをいかに文学は生かせるか、そこで新しい文学は生まれ得るか、マジメに考えてみたい。
ツイッター上で新しい試みに挑んだ新城カズマ氏の『15×24』。
ツイッターは、リアルタイム・コミュニケーションサービスという側面が大きい。ブログなどの、ある程度書き込む環境の整った「記録」的な発信メディアとは異なり、「同期」的なツイッターでは自分が「投稿」して発信する際に、フォローしている人のツイートも同時に目に飛び込んでくる仕様になっている。また、フォローされている人からの自分の発言に対する即座のリプライや、自分の発言に意見や感想などを付け加えられることさえRTによって可能である。「自分の思惑を超えたもの」、それらは純粋な発信者の立場にたった場合、言ってしまえばノイズだ。
ツイッターは、フォローしている人によって、まったく独自のノイズ空間を形成する。一つひとつのツイートは、取り出してみれば実は取るに足らない放言・戯言にすぎないものが多い。しかしそんな言葉も、ツイッターというリアルタイムの特殊なノイズ空間の中では、確かにある種のきらめきを放つ。