ここ数回、俺が春日野部屋に入門した頃の昔話をさせてもらっていたが、もう1回だけ話をさせていただきたい。毎年4月、入学シーズンとなり、新しい環境に身を投じる子どもや若者たちは多いが、俺のように田舎から上京して、相撲部屋に入るとなると、その環境の激変ぶりは、新しい学校に入るなんていうレベルなどではない。180度、生活が変わるわけだが、当時は深く考えてなかったんだろうなぁ。苦労しつつも、それなりに楽しく、その生活になじんでいった気がする。
前回も話した通り、俺が上京したのは昭和35年、中学2年の冬。俺の故郷・山形に巡業に来ていた横綱・栃錦(後の春日野親方)に「力士になってみるか?」と声をかけられ、そのかっこよさに二つ返事でOKしてしまった。その後、入門に備えて、横綱は「部屋の見学も兼ねて、春場所を見にこないか?」と声をかけてくれたので、俺は嬉々として上京。ところが実は、見学などではなく、そのまま入門する手はずになっていたのだ。
このときの俺の身分は仮入門者。当時、部屋は元横綱・栃木山の春日野親方が仕切っていたが、栃錦が部屋を継承することはすでに決まっていた。俺は、横綱の内弟子として、春日野部屋に世話になることになったのだ。