「サブカル」という言葉が苦手だ。もちろん「サブカルチャー」の略語としての「サブカル」じゃない。90年代前半の(広義の)渋谷系サブカルチャー的「自意識」を指す「固有名詞」としての「サブカル」だ。理由はひとつ。「『サブカル』守旧派」ともいうべき中高年業界人たちが、明確に「老害」として現代のカルチャーシーンを腐らせているからだ。
本誌読者向けに、もう少し噛み砕いてニュアンスを説明したほうがいいだろう。「浅野いにお」と「くるり」と「文化系トークラジオ Life」に共通する、あのおしゃれに構えているくせにかっこ悪い何か、といえばぴんと来る人は来るはずだ。「才能のない自分をどう無理矢理肯定するか」みたいな自意識の話ばかりの、あの、感じ。具体的にそれは90年代ロック的な自意識だ。つまりカウンターカルチャーが高度消費社会の到来によって原理的に不成立になったとき、90年代ロックは「風穴を開けたくても壁がない」「反抗するものがない」ことの絶望を歌っていた。つまりそれは「悩んでいる自分が好き」という自意識の問題に収斂されていく態度であり、こういったミニマリズムへの敗北ともいえる態度が、90年代後半以降こうした固有名詞としての「サブカル」を急速に衰えさせていったのだと思う。つまり、ある種のナルシシズム類型を持った人々以外に相手にされなくなったのだ。
たとえば、今でもカルチャー誌ではお笑い芸人が表紙になって、絶望的につまんないちょうちん記事が書かれていることが多い。僕の考えでは、これは典型的な「サブカル守旧派」の遺物である。これは音楽誌「ROCKIN’ON」が当時取っていた手法で、クリエイター(作家、芸人)に2万字インタビューを取って、「こいつの作品/芸がすごいのは、その人生がすごいからだ」と落とし込む手法である。それをこの雑誌はお笑い批評に転用しているのだが、それはただ芸人の神話化をしてちょうちん記事を作っているだけで、批評的な知はカケラもない。
僕がラリー遠田を評価するのは、彼が現代のお笑い批評を『M-1グランプリ』と「『レッドカーペット』/『エンタの神様』」という2つの(メディア事情の構造変化が生んだ)ゲームに支配された空間としてとらえ、そのゲームにユニークな対応をした芸人が優れた芸を残している、というふうに「お笑い」の評価軸を刷新しているからだ。ここには、なんでも自意識の問題に収斂してしまう90年代前半の「不良債権」としての「サブカル」にはない新しさがある。そして何より「芸自体」「作品自体」の「分析」になっているのは圧倒的に後者である。だから僕は、ラリー遠田を圧倒的に支持する。
本日、編集協力で参加した思想誌「思想地図」の作業がほぼ終了した。特集は「想像力」。つまりカルチャー特集だ。そこでは文学、美術、オタク系文化とさまざまなジャンルで、同じような評価軸の刷新、価値転倒を試みている。そしてこの変革が、ただの業界地図の塗り替えや、ジャンル史の発達ではなく、あらゆるジャンルに適応しうる変化であり、その背景には思想史的に扱いうる社会構造そのものの決定的かつ不可逆な変化が存在することまで、網羅的に抉り出している。
僕が主宰するカルチャー誌「PLANETS」もまた、現代の「サブカル」ならぬ「サブカルチャー」シーンにおける「変革」「価値転倒」を担うべく継続していく。今年夏に出した「Vol.6」はラリー遠田による「お笑い」特集によって、最もコンセプチュアルな1冊になったと思う。僕は第二、第三のラリーが現れて、僕と一緒に戦ってくれることを望んでいる。それは「音楽」でも「演劇」でも「ゲーム」でもなんでも構わない。「サブカル」なんて自意識ゲームから、「サブカルチャー」の、文化の本来の魅力を取り戻そうという気持ちさえあれば。
<使用例>
(文化系大学サークルの部室で)
「銀杏BOYZが映画『ボーイズ・オン・ザ・ラン』の主題歌歌うんだって」
「うわー、予定調和すぎ。もういいよ、そういうのは」
「おっさん向けだから仕方がないよ。サブカル守旧派っていうかさ」
<関連キーワード>
『スタジオボイス』
とか言いつつ、僕もけっこうよく書いていた(笑)「スタジオボイス」誌も休刊……。時代の流れ、としか言いようがない。
『文化系トークラジオ Life』
鈴木(謙介)さんは本当はわかっているはず。「ライ麦畑のキャッチャー」のスタイルだって時代と共に変化が必要では?
『有言不実行』
「サブカル」とは新しいものをとにかく褒める思想! とか言うくせに、仲間褒めしかしなかったのが「守旧派」。騙されるな!
宇野常寛(うの・つねひろ)
1978年生まれ。企画ユニット「第二次惑星開発委員会」主宰。ミニコミ誌「PLANETS」の発行と、雑誌媒体でのサブ・カルチャー批評を主軸に幅広い評論活動を展開する。著書に、『ゼロ年代の想像力』(早川書房)がある。本誌連載中から各所で自爆・誤爆を引き起こした「サブ・カルチャー最終審判」が、書籍『批評のジェノサイズ--サブカルチャー最終審判』となって絶賛発売中!